2024年7月31日水曜日

小野小町のつぶやき

 平安時代の歌人、絶世の美女として誉れ高い小野小町は、こんな歌を残しています。「花の色は移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」(現代訳 桜の花はむなしく色あせてしまった。春の長雨が降っていた間に。――私の容姿もすっかり衰えてしまった。生きていることのもの思いをしていた間に。)

 人生があっという間に過ぎ去ってしまったことを小町は、色あせた桜を見ながらしみじみと回想しているのです。美しい桜もやがて見頃が過ぎます。美人の誉れ高い小町も容色の衰えを自覚しました。私もまた今、小町同様しみじみと自分の人生を振り返っています。

 子どもの頃は、時間の流れが緩やかでした。11日がとても長く感じられました。ところが、年を取るとだんだん時間の流れが早くなって、510年があたかも一日かのように飛ぶように過ぎて行きます。

 私は、まもなく還暦を迎えます。現在はぎりぎり59歳ですが、59という数字は私にとってとても大きな区切りとなるものです。昔から60歳からは老人であるという頭がありましたので、何もなさないままこのまま現役を終えるのかと、心に思秋期の風が吹き、初めて老いに向かい合い、また来し方を振り返るようになりました。

 時は残酷です。なぜならそれは一方通行で進んで行くものだからです。あの頃に戻りたいと思っても逆行することはできません。ここで時間を止めたい、立ち止まりたいと思っても淡々と時は流れ先に進んで行きます。まだまだやりたいことがあると思っても、できない状況が増えてきます。

 振り返れば、人生にはすべて「時」がありました。すべての事がいつまでもずっと開かれているのではなく、それぞれの年齢(時)でしかできないことがある、ということに、私はこの年になってようやく気づきました。たとえば、お産がそうです。あくまで一般論として述べさせていただくのですが、子どもを産むことができるのは長く見ても若い頃からおよそ40年ほどの年月です。それを過ぎたら体は老化し、もう子どもを産むことはできなくなります。どんなに欲しいと願っても、過去にさかのぼって始めることはできないのです。時を逃すと閉じてしまう扉が人生にはたくさんあります。今さらやってももはや時遅しということを私も体験し、ずいぶん悔しい思いをしました。年を取ればこういうことは増えてきます。しかし、それが世の習いでありまた神の定めであって、人生には何事にも「時」があるのです。

 ソロモンは伝道者の書に「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(121節)と書きました。人生の時間を用いるに当たっては、創造主を知ることが重要です。あなたが何をするために生まれたのか、それをご存じなのはあなたをお造りになられた神であるからです。また、何かをするにはやはりまとまった時間が必要です。それゆえ若い日に働きをスタートすることが大切なので、ソロモンはこう書きました。若いというだけで持っているその可能性は甚大です。世を去る前に実を残したいと思うなら、このことばに聞きましょう。

 また、コリント人への手紙第二416節には「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」という一文があります。内なる人とはキリストを信じた私のことを言います。キリストにあれば、私たちは死からいのちに移っています。老いもまた御国の希望で祝福されているのです。小野小町のようにもの思いに沈む必要はありません。

 強く雄々しくありましょう。命が始まったら、そこからはノンストップです。天に帰るまで、地上での生涯は前進あるのみです。そして、行き着いたなら、私たちは、やがて永遠という時代を神と共に生きるようになると知ってください。

  MIKOE NEWSから転載」 2024年7月31日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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