2024年7月10日水曜日

 たとえ一人であっても

 自分1人の力では何もできない、時々私たちはそう考えるものです。何かを成し遂げるには人との協力が必要だということは、私たちにとって自明の理でありそれを否定することはできません。しかし、もし神が共にいてくださるのなら、たとえ1人であっても、できないことは何一つないのではないでしょうか。

 神が共におられるなら、たとえ1人であっても戦いに勝利する。このような話は聖書に幾つも記載されています。顕著な例はダビデです。サムエル記第一17章はペリシテ人とダビデの戦いを記しています。ペリシテ人ゴリアテは職業戦士で、朝夕イスラエルの陣営をなぶりに来ます。「お前らの内から1人を出せ、さしで勝負しようじゃないか」。するとイスラエルの陣営の戦士たちは震え上がるのでした。

 兄を訪ね戦場に来たダビデは、たまたまそれを聞き、激高します。そして、単身ゴリアテに立ち向かいました。ダビデは言います。「おまえは、剣と、槍(やり)と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。(中略)この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される」(4547節)

 こうして、ダビデは投石袋から石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ゴリアテの額を打ちました。すると石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れました。ダビデには一振りの剣もなかったのですが、一つの石でいとも簡単にこのペリシテ人を打ち殺してしまいました。これが、主の戦いというものです。戦われるのは実に神なのです。ですから、奇跡と呼べるような勝利がもたらされたのです。ダビデは1人でした。けれども、主の戦いに立った時、その1人のダビデを通して、神は圧倒的な勝利を与えられました。

 同じように、たった1人で神の陣に立ち、勝利した人がいます。列王記第一18章に登場する預言者エリヤです。エリヤは、ひとり残った主の預言者でした。そして、異教の神バアルを信奉するバアルの預言者は450人いました。主の民でありながら、バアルに心を寄せ、心の定まらないイスラエルの民に対して、エリヤはある提案をします。

 「それぞれ雄牛を1頭用意し、それを切り裂き、たきぎの上に載せ、火をつけないでおく。そして信じる神の名をそれぞれが呼び、天からの火をもって答える神が真の神だ」。こう言うと、民はみな答えて、「それがよい」と言いました。

 まずバアルの預言者たちから始まりました。大声でバアルの名を呼び、ならわしに従って剣や槍で自分の身を傷つけ血を流しました。しかし、何の声もなく答える者もなかったのです。

 エリヤは、民全体に「私のそばに近寄りなさい」と言いました。そして、主の祭壇を立て直し、全焼のいけにえの雄牛とたきぎの上に多くの水を注ぎました。水は祭壇の回りに流れ出すほどでした。そして言います。「主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください」。すると、たちまち主の火が降って来て、全焼のいけにえとたきぎと石とちりを焼き尽くし、水もなめ尽くしてしまいました。これを見て民は、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言い、主に立ち返ったのです。

 たとえ1人であっても、その心が主とまったく一つであるなら、神はご自身の御力を現し、圧倒的な勝利を与えてくださいます。人にはできないことでも、神におできにならないことは一つもありません。それゆえ主を信頼し、しっかりと信仰に立ちましょう。あなたが直面している戦いは神の戦いです。たとえ1人であっても、あなたが立つなら、神は必ず栄光を現してくださいます。

MIKOE NEWSから転載」 2024年7月10日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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