2024年2月14日水曜日

信仰、その大いなる奇跡

 信仰は行いである、と語った人がいます。まさにその通りです。ヤコブの手紙2章でも「信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです」という一節があります(17節)。信仰は行いとともに働くものなのです。

 有名なところでは、ペテロの水上歩行が挙げられます。マタイの福音書14章で、イエスさまが湖の上を歩いて弟子たちの舟に近づいてこられたのを見たペテロは「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」と言います。イエスさまは、「来なさい」と言ってくださいました。そこで、ペテロは舟を出て水の上を歩いてイエスさまの方に行きました。奇跡が起こったのです。

 もし、ペテロが信仰を持たなかったら、行いによって示さなかったら、何の奇跡も起こらなかったでしょう。ただイエスさまが湖の上を歩いて舟に来られた、それだけのことで終わっていた話です。しかし、信仰を用いたことによって、ペテロも湖の上に立ち、奇跡が起こりました。そして、そのことによって神の栄光が現されたのです。

 ザンビアで孤児院の働きをしているAさんは現地の活動の中で、学校設立のビジョンを受けました。何の後ろ盾もない中、信仰を唯一のよりどころとして働きに踏み込んだところ、真実に神の手が動きました。スラムに小学校ができ、卒業生が出て、先日は中高生を収容する新しい建物の建築が完成し、そのお披露目の会が開かれました。もし、このようなビジョンを信仰によって受け取る人がいなかったら、土地も建物も孤児たちも、何もないままであったでしょう。

 信仰は種です。まけば必ず刈り取りの時が来ます。ところが、はなからそれを信じていない人は種をまきません。まかない所には、何の神のわざも起こりません。奇跡を見ることもなく結ぶ実もありません。信仰とはこういうものなのです。しかし、たった一人でも信じる者がいるなら、神はその一人の信仰を通して驚くほどの奇跡のわざを現してくださいます。

 とはいえ私は、やみくもに信仰を持て、信仰を用いよ、と語っているのではありません。それは、信仰の歩みというよりも心臓の歩みです。思い込みと信仰は違います。祈りの中で幾度も確認を取り、できることを考え、その上で本当に神から来ていると分かったものに対して、信仰の踏み込みをなすのです。すると、ペテロが水の上に立ったように、ありえない奇跡が起こるのです。今のこの世においても、起こります。

 どれほど大きな山であっても、勝ち目のない戦いのように見えても、主が共にいてくださるなら、どんなことでもできないことはありません。エリヤはたった一人で、450名のバアルの預言者に立ち向かい勝利しました(第一列王記18章参照)。信仰は奇跡を生むのです。

 信仰を使わないと現状のままです。しかし、信仰を用いるなら驚くべき神の計画とその成就を見ていきます。私たちが信じること、そしてそれが答えられることで、神は栄光をお受けになります。信仰によって歩みましょう。神は、あなたを信仰の勇士として用いたいと願っておられます。 

MIKOE NEWSから転載」 2024年2月14日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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