2024年2月22日木曜日

いやしの賜物

  イエスさまは、その宣教の中で多くの人をいやし、また悪霊からの解放をなしておられます。いやしにはさまざまな方法が取られ、特にマルコの福音書16章でイエスさまは、天に上げられる直前にお弟子たちにこう言われました。「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます」(1718節)

 今回は、私に起こったいやしの働きをお分かちしたいと思います。いやしは、さまざまなやり方で働きます。特に最近では、礼拝の中で知恵知識のことばによって今まではなかったようないやしの働きが起こっています。私も未病のような病が礼拝ごとに次々にいやされてゆくのを体験しています。とともに、手を置くということで起こった賜物としてのいやしについて事実を書き記したいと思います。

 18歳の時に私は、筋力低下と不明熱で半年ほど郷里の大学病院に入院したことがあります。最終的には不明熱は、不明熱に効くという薬があるのですが私には効きませんでした。その頃私は学生で、東京のM教会で救いにあずかったばかりでした。M教会の牧師先生は、いやしの賜物を受けていて、多くの人が牧師を通して神のいやしにあずかっていました。そのことを聞いていたので、私も祈っていただきたいと思いました。でも、東京と四国はあまりにも離れていて、しかも入院中なので自由に祈ってもらえそうにもなく、どうにかならないかと思案しました。

 結果、私の妹が私の代わりにM教会に行き、私の代わりとなって、牧師に祈ってもらうということになりました。牧師は、病状を聞いた上でいやしの祈りをしてくださり、特に妹の右の手を祈ってくださり、その手を私に置いて祈るように指示を受け、帰ってきました。

 すぐさま妹は病院に来て、祈られた右の手を私の上に置いて、いやしを祈ってくれました。すると、聖霊が働かれ、その場で熱が引きました。こんな方法で、私はいやしを受けたのです。驚きました。

 さらに驚いたのは、それから23年後のことです。父が、食道静脈瘤(りゅう)破裂を起こし吐血し危篤となった時です。止血しないと命に関わります。母と妹そして私の3人で父の上に手を置いて祈りました。同じ姿勢で祈るのはきついので手を動かそうとすると、父が妹の手を握り放そうとしないのです。どうしたのか聞くと、妹が手を置いた所はそこだけ不思議に痛みがなくなるというのです。キリスト教に反発していた父ですが、手を置いてくれと願うのです。その時、私はM教会の牧師が妹の手を祈ったことを思い出し、いやしの賜物が今なお働いていることを目の当たりにして、驚きました。

 福音書を読むと、主はあらゆる方法でいやしをなしておられます。いやしを求めた全員がいやされたという記述もあります。神はあわれみ深い方なので、病に苦しむ者を捨て置かれることがありません。救ってくださるのです。イエスさまなら、あのイエスさまなら、私の病をいやしてくださる、こう信じて、イエスさまの衣に触れた女性は瞬時にいやされました。イエスさまは自分の内からいやしの力が出ていくことを知って、そのことを知ったのです。神のいやしにはこうしなければならない、というような高いハードルは一切ありません。

MIKOE NEWSから転載」 2024年2月22日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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