2024年2月7日水曜日

お金はどこまで必要か

 先日、最近の試算では老後の蓄えは1人につき2千万円必要だと発表されました。これを聞いてある者はあわてて仕事を増やしました。また、ある者ははじめからお呼びではないと諦めムードです。お金はある人にはあるのでしょうが、無い人にはとことんありません。65歳からは老齢年金が支給されますが、多くの人はそれだけではとても食べてゆけないと言います。だから、働けるうちに2千万円用意しておきなさいというのです。世知辛い世の中になったものだと思いませんか。

 お金って何でしょう。時代に応じてその姿は変容しましたし、これから先も変わってゆくものだと知っておきたいものです。江戸時代には、お米の収穫がお金の働きをしていました。何万石の大名という言い方は米の収穫量を示しています。並行して、日本では金(きん)が採れましたから大判小判などがまさにお金として使われていました。それから、紙幣の時代になり、現代では、買い物の際に通用するポイント、電子マネーが、紙幣外で使われ始めています。また、国ごとにその国のお金(貨幣)があって、私たちは両替して使用しているのですが、いちいち面倒であり、政情によって大きく価値を落とすこともあるでしょうから、そんな必要のない、世界レベルの通貨がこれから出てくるように思います。多分それは、紙幣という形ではないものとなるでしょう。

 確かに、今の世で一番頼りになるのはお金かもしれません。しかし、しょせんは紙であることを忘れてはなりません。紙をお金として成り立たせているもの、それが別の媒体を選ぶなら、いともたやすくお金はただの紙に返ります。

 戦後、預金封鎖という出来事がありました。国を立て直すための特例で、銀行預金も課税対象となりました。財産税法による高い税率によって、一部の高額預金者は、銀行に預けたお金を最大90%まで国に差し押さえられ、実質お金は大きく目減りしました。銀行に預けたから大丈夫という常識が覆えされたのです。お金は気まぐれで、荒ぶる馬のようです。お金を管理することは簡単ではありません。そして神は、任されたお金を私たちがどう使うか見ておられます。

 ある年配の女性が孤児院の働きのために全財産をささげることを申し出た時、もう少し熟考するよう語ったスタッフに対して、彼女は「私は自分の信頼の対象をお金から神へと変えたことに一つの後悔もしておりません」と語りました。

 これは、真理を突いた言葉です。そして素晴らしい告白です。お金にではなく神に信頼する、このような心から出たささげものを神はどれほど喜ばれたことでしょう。その信仰に報いてくださらない訳はありません。

 ルカによる福音書12章でイエスさまは興味深いたとえを話されました。ある金持ちの畑が豊作でした。作物を蓄えておく場所がない、と思った金持ちは倉を大きく立て直してそこにしまっておこうと考えます。そして、自分のたましいに言うのです。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」。しかし、神は金持ちに言われます。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか

 「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」。イエスさまはそう言われました。私たちは、神の前に富むことを教えていただきましょう。そしてまた、神さまが養ってくださるという信仰を持ちましょう。老後を支えるのはお金ではありません。神です。主はすべてをご存じで私たちを豊かに養ってくださいます。

 生活をしてなお余る財があるなら、そのことを感謝してそれを神にささげましょう。神の前に富むとはこういうことを言うのです。2千万円のお金は本当にあなたを救うのでしょうか。果たしてそこまで世があるでしょうか。時代は変わってきています。主に身を避けたほうがお金に頼るよりはるかに確かです。神の前に富むこととは、惜しみなくささげることであり、それはあなたにとって永遠の誉れとなって、天に豊かな実を結ばせます。 

MIKOE NEWSから転載」 2024年2月7日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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