2024年1月3日水曜日

蒔く者と刈る者

 詩篇126篇にこのような詩があります。「涙とともに種を蒔(ま)く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る」(56節)

 どこかで、この詩をイラストにした絵を見たような気がします。ありありとその情景が脳裏に浮かびます。これは主(おも)には、福音宣教のことを言っているのでしょう。福音の種まきは戦いがあり、総じて厳しいものです。まさに泣きながら私たちはまきました。けれども、すぐに結果が出るものではありません。これが何になるという試しと信仰の使命の中で、泣きながらまいたのです。

 だからこそ、それが実ったその収穫は、心からの喜びとなりました。ここでは喜び叫ぶと書かれています。決して大げさではないです。収穫は種をまいた者たちへの報いの時です。まかれた種が成長し確かな実を結ぶと、過ぎた労苦を忘れるほどの喜びでいっぱいになります。

 ヨハネの福音書4章で、イエスさまはこう言われました。「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです」(38節)

 本当にその通りです。日本においても涙とともにまく時がありました。1549年にフランシスコ・ザビエルによって日本にキリスト教が宣べ伝えられ、福音の種まきがなされるようになりました。急速に宣教は進み、おびただしい数の人々が福音を信じるようになり、時代を動かし、時の権力者を動かし、ついには日本二十六聖人を初めとする多くの殉教者を出しました。殉教者たちは、世の命を捨て、主がその血に報いて大勢のたましいの救いをもたらしてくださることを信じ、一粒の麦として、死んでいきました。

 その報いの時が、いよいよやって来ようとしているのです。空前絶後の刈り入れの時代に私たちはいるのです。イエスさまもまた「『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る』ということわざは、ほんとうなのです」とおっしゃいました(37節)。彼らは、まきました。私たちは、刈り取るのです。先人たちの労苦の実を刈り取る、栄光ある務めが任されています。

 イエスさまは、こう言われました。「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです」(3536節)

 時は来たのです。畑は色づいて、刈り入れるばかりになっています。信仰を働かせ、多くのたましいをキリストのもとに導くよう働きましょう。まく者、刈る者双方の喜びの日が来ました。主の再臨に備える後の雨リバイバルは既に始まっています。

MIKOE NEWSから転載」 2024年1月3日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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