2024年1月17日水曜日

慰めの神

 コリント人への手紙第二1章に次のように書かれています。「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです」(34節)

 皆さんの中にも、この神さまの慰めを味わった人は少なからずおられると思います。神の慰めは往々にして試練の中で与えられます。耐え切れない苦難困難にある時、神さまは私たちをねんごろに慰めてくださいます。確かに誹謗(ひぼう)中傷でひどく傷つくのですが、心の根っこの所で温かいものが常に私を取り囲んでいました。そして、そればかりではなく、そこにはかすかな喜びさえあるのです。これは、何でしょう? どん底にたたきつけられ、ささくれるはずの場面で、神は慰めをもって心を守ってくださり、揺るぎない平安を与えて下さいました。神は私たちの心に寄り添い慰めてくださるのです。そして、自分が弱ければ弱いほど、その慰めは心に響きます。

 詩篇でしばしば登場することばに「隠れ場」ということばがあります。ヘブル語で「セーテル」というこの語は、英語ではハイデングプレイス(隠れた場所)とか、シェルター(避難所)とも訳されています。あらゆる攻撃から守られるよう神が用意された逃れの場所です。

 詩篇91篇には、こう書かれています。「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る」(1節)。また、31篇には「あなたは彼らを人のそしりから、あなたのおられるひそかな所にかくまい、舌の争いから、隠れ場に隠されます」(20節)とあり、32篇には「あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます」(7節)と書かれています。

 これもまた、神の慰めを語っているのです。「隠れ場」は、慰めの場所です。全能者が御手を置いておられる所であり、神は私たちを覆う陰となり、苦しみが過ぎるまで私たちを隠してくださいます。また、中傷やののしりから逃れ、息をつかせてくださいます。神は苦しみから私たちを守る避け所です。そして、ついには救いの歓声で私たちを取り囲んでくださるのです。

 この「隠れ場」は、世のある限り常に私たちのために開かれています。神に身を避けることは人に求めるよりはるかに優れています。神があなたの力となり、神は直接あなたを慰めてくださいます。人の慰めは不完全でかえって傷を広げかねません。しかし、神の慰めは謙遜で深く、いのちに至らせ、そのあわれみは大きいのです。

 マタイの福音書1220節に「彼はいたんだ葦(あし)を折ることもなく、くすぶる燈心(とうしん)を消すこともない」と書かれています。彼とはイエスさまです。神はありのままのあなたを受け止め、いつくしみをもってあなたがご自身のもとに来るのを待っておられます。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともありません。むしろ支えとなり、また燃え立たせてくださいます。それゆえ、あなたもまた、神を信じて、イエス・キリストを救い主として、あなたの心にお迎えしましょう。慈愛と慰めに満ちた神の愛は、これから先も決してあなたを離れるものではありません。 

MIKOE NEWSから転載」 2024年1月17日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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