2019年10月30日水曜日

罪の赦し

 私たちは、日々いろんな罪を犯します。それ故、イエスさまの名によって悔い改めることはとても重要です。どんな罪でも悔い改め、言い表し捨てるなら、あたかもそれがなかったかのような赦しを受け、祝福さえ頂きます。ヨハネの手紙第一に「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(1章9節)と書かれている通りです。
 一口に罪といっても、盗みから殺人までその内容は千差万別です。確かに人の目には、大きな罪小さな罪と区別されるべきものがあるでしょう。しかし、神の前には、罪は、あるかないかのどちらかなのです。神は義なるお方で、その聖(きよ)さはどんな微小の罪であってもはじきます。聖なる方は、決して罪と相いれることはありません。こういう訳で人が神に近づくには贖(あがな)いが必要であり、私たちの先祖は、救い主であるイエスさまが来られるということを長い間待ち望んでいました。
 そして、事実イエスさまは、およそ2000年前に、人と神の仲介者として世に来られました。私たちのすべての罪を身に負って、十字架の死によって私たちを贖い、また3日目に復活を遂げ、救いをなし遂げられました。
 ただ信じるだけでよいのです。神さまの前には、今や赦されない罪は一つもありません。どんな罪でも悔い改めるなら完全に赦されます。これこそ神が恐れられるゆえんなのです。マルコの福音書でイエスさまはこう言われました。「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために」(2章10節)
 罪を赦す権威、これこそイエスが救い主であることのしるしです。罪の奴隷であった私たちですが、今やイエスにあって神の子とされたのです。(イスラエル北野)

み声新聞2019年11月3日号(第1066号)より転載—

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