2019年1月2日水曜日

憎しみそして赦し

 世にある限り、恨みつらみは避けられません。私たちは皆、罪びとですから、人を傷つけ、また傷つけられます。それ故、「赦す」ということを学ぶことは誰にとっても必要です。しかし、これは簡単にできるものではありません。
 考えてみてください。大切な人を犯罪で殺された人はどうでしょう。犯人に復讐(ふくしゅう)してやりたいと思わないでしょうか。それを押さえて、その人を赦すことは大変な苦しみになります。
 私もまた、赦せないという心の痛みを戦っていた時期があります。しかし、あるシスターの書いた著書の一行で立ち直りました。「赦(ゆる)せないという悩みは、赦したいという心から始まっているのです」。確かそのように書かれていました。
 神さまは、赦したいのだという心の方を見てくださいます。間違っても、赦せないことを懲罰するお方ではありません。ですから、神に助けを求めていただきたいのです。神はあなたの味方です。
 ローマ人への手紙12章にはこのように書かれています。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをすると、主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。(中略)そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」(1921節)
 十字架の上でイエスさまがなされたこともまた赦しでした。唾をかけられ、平手で打たれ、でもイエスさまは抵抗しません。私たちを贖(あがな)うため、赦すために、十字架で死なれました。イエスさまが私たちのために死んでくださったこの真実は、あなたに赦す力を与えます。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年1月6日号(第1023号)より転載—

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