2019年1月30日水曜日

幸せにするために

 出エジプト記は、壮大なスケールで展開される聖書の一大巨編です。イスラエルの民はモーセのつえに従い、奴隷の身分から解かれ、エジプトを脱出し、神が与える約束の地カナンに向かいます。とはいえ、エジプトがそうやすやすと許す訳がありません。パロは、幾たびも心変わりをし、イスラエルを使役しようとし、追い掛けました。
 気付けば、絶体絶命のピンチが来ていました。後ろにはエジプト軍、前は海という状況となったのです。民は、この荒野で死ぬよりエジプトで奴隷であった方が良かった、とつぶやきました。しかし神は前進と語られたのです。モーセが手を海の上に差し伸ばすと海が二つに分かれ、海の底の乾いた道を民は行き、出エジプトの栄光が現されました。
 時折、私たちは、主に従ってきたのに、なぜこんな悪い事が起こるのかといったことを、つぶやくことがあります。悩みますが、それは神さまがあなたに対して、ご自身のご栄光の計画をお持ちだからだと思います。悪い事も良い事も、神は測って与えてくださいます。意味のないものは一つもありません。試練ですら神は祝福とされるのです。
 試練はさばきに見えますが、違います。試練は良きものです。愛から出ているからです。神さまは私たちを愛しておられるのです。親が子を愛するように、この霊の父もまた、私たちを子として愛するが故に、懲らしめたり悟らせたりするのです。
 神さま、なぜこんな試練をお許しになったのですか、という祈りをした時、申命記8章16節に答えを見付けました。そこには「それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった」と書かれていました。あなたを幸せにするためにその試練は許されているのです。(イスラエル北野)

み声新聞2019年2月3日号(第1027号)より転載—

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