2018年5月2日水曜日


子育て

 かつて、父が「親と言う商売があるなら辞めてしまいたいですわ」とよくこぼしていました。親というのが(簡単に辞めることができる一種の)仕事であるなら(自分は)さっさと廃業してしまいたいものだ、という意味です。時が流れ、自分がかつての父と同じ年齢となって、父が言わんとしたことが分かるようになりました。子育ては、大変な仕事です。
 子育てが取り上げられるのは、多くは初めての子育てで、しかも子どもが小さい時の事に集中します。しかし、いくつになってもその時その時に乗り越えるべき課題があって、子育てはもう、一生の仕事だと思います。
 子どもがはたちになると成人とされるわけですが、就職、結婚、出産など、人生の重大事がめじろ押しで、子どもの自立を見届けてやらねばなりません。ちょうど、自転車の荷台をつかんで支えつつ、そっと手を放しても乗りこなせるまで、子を育て上げるのが親の仕事です。しかし、どうやってそれをなすことができるでしょう。
 あるご婦人がいます。彼女は聖会のたびごとに、2人のお子さんのご病気のいやしを求めて祈りの列に並ばれます。息子さんはご病気がありながら仕事に行かれていますが、今日も行くことができますようにと、彼女は朝ごとに祈っています。何年になるでしょうか。忍耐強くこつこつと祈りが積み上げられていて、彼女の祈りは聞かれています。息子さんを支えているのは、間違いなく彼女の「祈り」であると私は思います。
 子どもを育てることは、前述の父ばかりではなく、誰にとっても忍耐がいるものです。これがいいと思っても強要することはできません。ですから祈りなのです。子育ては祈りです。隠れた場所で祈られたその祈りは確かな実を結ばせます。(イスラエル北野)

み声新聞2018年5月6日号(第988号)より転載—

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