人を恐れた王様
聖書の箴言に、「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」という一文があります(29章25節)。人を恐れるとわなにかかるとはその通りで、サムエル記を読むたびに私は、サウルとダビデ、この対照的な二人の王のことを思い起こします。
サウルは、イスラエルの初代の王様です。彼は、幾度も致命的な間違いをおかしました。その一つは、サウルに油を注いで王としたサムエルが、約束の日時に来なかった時のことです。民が今にもサウルから離れ散って行こうとしたのを見て取ると、サウルは思い切って祭司にしか許されていない全焼のいけにえを自分でささげました。人を恐れてしまったのです。そこにサムエルが到着し、サウルに、あなたは愚かなことをした、今やあなたの王国は立たないと宣告されました。
更に、サムエル記第一15章では、サウルにアマレクを聖絶せよとの主の命が下ります。サウルは主に聞き従っているつもりでしたが、実際は良いものを惜しんで、値打のないものだけを聖絶しました。
サムエルに罪を指摘され、サウルは罪を認めました。しかし、サウルは「どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください」と願います。彼は神以上に人を恐れたのです。
ダビデもまた、在位中に罪を犯しました。人妻を召し入れて姦淫(かんいん)を犯し、夫を激戦区に送り戦死させてしまったのです。預言者ナタンがそのことを明らかにするとダビデは即座に、「私は主に対して罪を犯した」と悔い改めました。面目を求めたサウルとは大違いです。こうして神を恐れた人、人を恐れた人、二人は色分けされてしまいます。
人を恐れるとわなにかかります。それ故、神を恐れることを学びましょう。
(イスラエル北野)
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