2018年4月4日水曜日


主を恐れる女

 かつて父が大学の研究室を訪ねてくれたことがありました。そこで働く女性講師が応対してくれました。お前のなりたい姿はあの先生みたいなのか。後で父に尋ねられて、初めてそうではないことに、気が付きました。
 明晰(めいせき)な頭脳に理性的な受け答え、学者として非の打ち所のない先生です。しかし、なりたいという姿ではありませんでした。私が理想とするのは、聖書の箴言(しんげん)31章の12節から31節に描写されている「主を恐れる女」です。
 それはどんなものでしょう。箴言にはこう書かれています。「彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない(12節)」「彼女は夜明け前に起き、家の者に食事を整え、召使いの女たちに用事を言いつける(15節)」「彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる(20節)」「彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ(25節)」「彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない(27節)」「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる(30節)」。こんなあんばいです。
 そもそも聖書によると、女性は男性の助け手として男性から造られました。助けになるよう女性には優れた能力が与えられています。専業主婦であっても侮れません。現に箴言31章の主を恐れる女は専業主婦であり、かつまた、手広く活躍しています。
 私も専業主婦ですが、私の食卓は、家の中でもっともにぎやかな空間です。家族のニュースが飛び交い、良い事も悪い事も祈りになります。家庭の中心にはイエスさまがおられます。
 こういう訳で、主婦よ! 大志を抱きましょう。あなたの小さな祈りは聞かれています。何一つとして地に落とされることはありません。主を恐れる女は敵の門を勝ち取ります。(イスラエル北野)

み声新聞2017年4月8日号(第984号)より転載—

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