2018年4月11日水曜日


父の喜び

 ルカの福音書15章には、「放蕩(ほうとう)息子のたとえ」として有名な例話があります。
 ある父親と兄と弟が主要な登場人物で、弟は父に財産の分け前を求め、それを得ると何もかもまとめて遠い国に旅立ちました。
 そして放蕩ざんまいをした挙げ句、大飢饉(ききん)が起こり、食うにも事欠くようになりました。そこで、ある人のもとに身を寄せ、豚の世話をしていました。彼は飢えて、豚の食べるいなご豆で飢えを満たしたいほどであったにもかかわらず、誰一人として、彼に与えようとはしませんでした。
 そこで弟は、父の元に帰ろうと決心します。「お父さん。わたしは天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください」と言うつもりで。
 ところが、まだ家まで遠かったにも関わらず、父は弟を見付け、走り寄っては彼を抱き、口づけしました。そして、最上の着物を着せ、指輪をはめさせ、靴をはかせ、肥えた子牛をほふり、祝宴を始めました。
 そこに、畑仕事を終えて兄が帰ってきました。状況を聞いて兄は、私はあなたに忠実に仕えているのに、友人と楽しめと言って子やぎ一匹くれたことがない。なのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰ってきたこの息子には、子牛をほふらせなさったのですか、と怒りをあらわにしました。
 父は、言いました。「私のものは、全部おまえのものだ。だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか」
 一人の罪人が神の前に立ち返ることを神はこの上ない喜びとされます。これがこの例話の主題です。あなたもまた主の元に帰りましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2017年4月15日号(第985号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿