2025年3月19日水曜日

 罪の目盛りが満ちて

 アブラム(後のアブラハム)は、75歳になった時「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」(創世記12章参照)という主のお告げに従い、妻のサライ(後のサラ)とおいのロト、そして大勢の者たちとともにカナンの地に行きました。

 ところが、ベテルやアイに来た時、彼らの持ち物が多過ぎて、ロトとアブラハムの間にいさかいが絶えなくなりました。そこでアブラハムは、「別れてくれないか。君が左に行けば私は右に行こう」と持ち掛けたところ、ロトは、その時主の園のように潤っていたソドムとゴモラのあるヨルダンの低地を選び取り、ソドムの近くに天幕を張りました。ところが、ソドムの人というのはよこしまで主に対しては非常な罪人でした。

 創世記18章。主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現われました。三人の人が彼に向かって立っていたのです。アブラハムはひれ伏し、もてなしました。その人は、「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている」と告げ、その人たちはソドムを見下ろすほうへ上って行きました。アブラハムもいっしょについて行ったところ、主はこれからしようとすることを、アブラハムに隠しておくべきか、と案じられ、そこで彼に仰せられたのです。

 「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」。アブラハムはまだ立っており、主にとりなします。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽されるのですか。町の中に50人の正しい人がいるかもしれません。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか」。主は答えます。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう

 アブラハムは、「その五十人に五人不足しているかもしれません」と言いました。主は「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら」と答えてくださいました。四十人ならどうですか、三十人、二十人、そして十人見つかるかもしれません。アブラハムは精一杯食い下がりました。すると主は、「滅ぼすまい。その十人のために。」と言ってくだり、去って行かれました。

 二人の御使いは夕暮れにソドムに着きました。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって迎え、伏し拝み、「家にお泊りください」としきりに勧めたので、家の中に入りました。彼らが床につかないうちに、町のすべての人々が、ロトの家を取り囲み、「今夜おまえのところにやって来た男たちを連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ」と言います。これは、男色のことを言っているのです。ソドムの者は、ホモ・セックスの性的倒錯、罪に汚れた町であったのです。彼らの罪は熟しきっていました。神は、恐らくアブラハムとの約束を覚えてくださったのでしょう。憐れみによって、ロトとその妻、ふたりの娘の手をつかんで、町の外に置いてくださいました。そして「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう」と告げました。

 太陽が地上に上った頃、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ばされました。ロトの妻は、うしろを振り返ったので塩の柱になりました。

 これは、紀元前2067年に起こった史実で、聖書の創世記に記されています。罪の目盛りというのが、神の前にあります。それがいっぱいになるまで、神は静観を保たれます。しかし、民衆の声が上がり、その叫びが神に届くと、罪の目盛りもいよいよ限界に達します。その日が来たなら、主は容赦なくさばきの手を下されます。現代もまた、ソドムとゴモラ同様、罪の目盛りが満ちてきていることを思いませんか。

 近頃話題になっているLGBTIQの問題も、まさにソドムの男色を思わされます。性が歪み、殺人、人身売買、不品行、偶像礼拝、正しい教えに耳を傾けず、偽りを愛する時代になっています。ペテロの手紙第二210節には、「汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る」とも「彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって、恐れるところがありません。」とも書かれています。今の世界がさばかれず、このまま続くと思ってはなりません。神は、静観されていましたが、もはやその期限も過ぎようとしているのです。

 ペテロの手紙第二3章にはこう書かれています。「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」(10節)。今度は、ソドムとゴモラ以上のさばきがなされるのです。そして、その日は近いと聖書は警告しているのです。

 しかし神は、ご自身の民、すなわち御子イエスを信じて神を恐れる正しい者を心に留め、携挙の恵みを与え、また、世の終わりの直前の終末の大リバイバルを約束しておられます。既にそれは始まっており、多くの者が救われ、あらゆるしるしと不思議を伴うわざをもって私たちを救いへと導き、おびただしい数の人々が救われています。日本においては、派手な動きは起こっていませんが、必ずこの先にそれを見るようになるでしょう。

 イエスさまが宣教を開始された時、イエスさまはこう語りました。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。

 同じように今、再び時は満ちています。キリストの再臨に向けて、いよいよ神の国は近くなりました。悔い改めるということは心の方向を変えるということです。自分中心の歩みから、神に従うよう、生き方を変えましょう。そして、熱心に悔い改めることを求め、また福音を信じ、宣べ伝えましょう。

 多くのリバイバルの前には、悔い改めの霊が豊かに注がれました。ペテロの手紙第一417節には「なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです」と書かれています。まず、教会・神の家から悔い改めが起こり、リバイバルは始まります。それゆえ熱心に悔い改め、互いに赦し合い、愛し合いましょう。悔い改めは、リバイバルを起こす重要なスイッチであると私は思っています。

 MIKOE NEWSから転載」 2025年3月19日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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