2025年3月12日水曜日

王明道と器の立て上げ

 私は18歳の時に救われ、即座に献身しました。その時口にした言葉は「遅すぎだ」というものでした。それを聞いた牧師は、半ば笑って「そんなことないよ」と言うのです。私としては、確かに短い18年間ではありますが、それなりに傷つくこともあり、もっと早く主を知っていれば人生また違ったものであったろうに、という思いがありました。それで、前述の言葉となった訳です。

 それから41年になります。あっという間にこれだけの年月がたちました。主の奉仕にも少しずつ携わらせていただき、さまざまな訓練もありました。顧みるに、その中で一番大きな大切な訓練は「待たされる」ということであったと思います。

 イエスさまは、公生涯に入るまで、30年の間両親に仕え従ってこられました。アブラハムが召命を受けたのは75歳でした。モーセは、イテロの下で40年間訓練を受けました。ヨセフは17歳から奴隷に売られ、長い年月を経てパロ(ファラオ)の前に立ちました。大きな働きを任される前には、例外なく待たされる、試される、という訓練を通るようです。神さまは私たちの人生を、私たちの思うようには見ていません。長い訓練を許し、ある日突然といった形で本格的な召しに立たせられるのです。ヨセフはその良い例でしょう。

 そして、待たされているその訓練は、後の本格的な働きの準備となっていることが多いです。神さまのなさることに無駄はありません。神さまとの個人的な交わりを深めるために、さまざまな訓練が私たちに許されるのです。

 ここで、中国の牧師、王明道(ワン・ミンタオ)のことをお話ししましょう。1950年代,三自愛国教会(中国政府が管理する共産党キリスト教会)に加わらない数千名の指導者が次々と逮捕され労働改造所に送られました。王明道は、三自愛国運動への参加をきっぱりと拒否したので、1955年に逮捕。収監されました。しかし、56年には自己批判書の声明を出し保釈されました。しかし、深く心の痛みを覚え、「私はユダだ、裏切り者だ」と、昼夜町を狂ったように徘徊する彼がいました。そして一月後、彼はその声明書を否定し、再逮捕されました。ここから合計23年の牢獄生活を送るようになります。こんなこと人間に耐え得るのでしょうか。人生のもっとも良い働き盛りを牢獄で過ごすなんて、私なら人生をのろいます。

 ところが、1974年に王明道から親戚に宛てた手紙が届きます。そこには、「私は空を飛ぶ雀のように自由です」。「私は素晴らしい人生の大学に入ったようなものです。私は実に多くのことを主から学びました」と書かれていました。一体何が起こっていたのでしょうか。王明道とともに収監されていたカトリックの医師は14年目の投獄で自ら命を絶ちました。いつになれば釈放されるのか分かっていれば、まだ忍べるかもしれません。しかし、無期限で牢獄で命を紡いでゆくのは、私ならとてもできないと思います。それを、「雀のように自由です」と語るなんて、主は彼に何をなされたのでしょう。

 今までの献身生活の中で、理不尽と思われるようなことが起こると、いつも語られる神のみことばがあります。それは、ペテロの手紙第一56節で「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです」ということばです。私は、このことばからはいつも「忍耐」を学びました。神の目から見て、ちょうど良い時というのがあるのです。その時までは、誰もが神の力強い御手の下にへりくだることを学ぶのです。イエスさまも、モーセも、ヨセフもみんな待たされました。

 王明道もまたこの道を行ったのです。それは、長いトンネルのようなものです。入ると真っ暗で、どこを走っているかわからず、出口が見えません。しかし、進んで行くうちにやがて光射し風そよぐ明るい世界に到達します。そして、トンネルというものは、2地点を結ぶ最短距離なのです。無為に過ごしたかに見える23年間が、実は神の前には、立て上げるための最短距離であったのです。

 聖書にはこのように書かれています。「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」(ペテロの手紙第一510節)。すべては私たちの立て上げのために許されるのです。忍耐を働かせ、またすべての事を感謝しましょう。今の試練は、将来の働きのために、神が深いご計画をもって一人一人に許しておられるものなのです。

 MIKOE NEWSから転載」 2025年3月12日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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