2024年3月20日水曜日

祝福された結婚

  先日、いとこが言いました。「最近の子は結婚もしないし、子どもも生まない」。そういえばそうだなと思いました。私たちはアラ還で、私には孫もいます。でも、自分としてはおばあちゃんの意識はありません。しかしながら、世代の変化を感じることはずっと多くなりました。特に今、結婚に対する若い子の意識が、私が若い時の頃とは大きく変わってきていることに驚いています。

 いつのころからかプラトニックラブ、という言葉をあまり聞かなくなりました。プラトニックラブは、純潔で精神的な恋愛をいいます。およそ10代の頃、私たちはある日突然気になる人ができ、不思議に胸がどきどきし、その人が好きだという抑えきれない心の変化を知るようになります。これは、初恋です。

 私も16歳の時、新卒の国語の先生に恋しました。好きだという気持ちからマフラーを編んだり、小物を作ったり、肖像画を描いたり、その気持ちをたくさん形に表しました。残念なことに、先生には既に決まった人がいて、この恋は実りませんでした。それでも、このときめきを知っただけでももう十分でした。人を好きになるということは、ものすごく大切なことで、素晴らしい体験です。恋することも愛することも、その切なさや喜びを私はプラトニックラブの中で知りました。実に豊かな人生であったと思います。

 ところで、今はプラトニックラブってあるのでしょうか。あまり聞きません。もちろん、純潔で精神的な恋愛は失(う)せてはいないでしょう。けれども、若い世代の者たちの多くは、プラトニックな愛がエロスの愛に変わるのを急いでいるように思われます。私が調べたところでは体の関係がないお付き合いは、好き合っていてもあくまで親しいお友達の関係であって、彼氏彼女と呼べる関係になるには、体の関係が結ばれ一線を越えることがあってのことらしいです。これが今の常識だそうで、あぜんとしました。ちなみに、結婚すると、晴れて「彼女」は「嫁」になり、そこからはもっぱら夫君を支える働きをするように、それはそれで新しい関係になるそうです。俺の「嫁」にならないか、今やこれが「彼女」に対するプロポーズの言葉であるそうです。

 さらに、最近「授かり婚」という言葉が市民権を得ています。おなかに赤ちゃんが宿ったことで結婚に踏み切るケースで、どんどん増えています。こうでもしなければ、結婚に踏み切れない、そういった事情が若い世代にはあるようです。マイノリティも含めて、いろいろな形の結婚がある時代になりました。それでは、聖書は結婚に関してどう書いてあるでしょうか。

 実は、結婚というものは神の奥義なのです。なぜならそれは、かしらなるキリストと花嫁である教会の婚姻を意味するものであるからです。マタイの福音書19章にはこう書かれています。「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。(中略)それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」(46節)

 ふたりの者は一体となる(新改訳聖書第2版では「ふたりの者が一心同体になる」)、この奥義は重大です。結婚は神が結び合わせてひとりとなるもので、それによって父と母を離れ独立するためのものです。このような深い意味が結婚にはあるのです。ですから、結婚を大切にしましょう。聖書に沿った結婚は大きな祝福です。

 それでは、初めに戻ります。最近の若者たちが結婚しない理由の一つは、結婚しなくても結婚した人と同様、自由に体の関係を持つことができる時代だからです。子を生まないというのも、今の楽しみを優先するなら、子はむしろ無くてもよいと思うのであえて生むことをしないのです。少子化の背景にはこのような事情があるのです。確かに子を持つことには経済的な問題もあると思います。でも、これは命をつなぐ素晴らしい祝福であるのです。

 結婚とは両性の合意のみで成り立つものではなく、神によって「結び合わされる」ものなのです。そして神はそこに、いのちの恵みを置かれました。私たちに、私たちに似た私たち自身の子を下さるのです。それほどまでに祝福されているにもかかわらず、私たちは知識がないゆえに祝福の結婚をゆがんだものにしています。結婚外での体の関係は神の祝福から離れたものであり姦淫に当たります。また、堕胎は神のみこころではありません。結婚を聖(きよ)く保ち、神を恐れてその恵みを受けましょう。悔い改めてイエスさまを信じ、聖書から婚姻を学び、結婚による祝福とその奥義にあずかってまいりましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年3月20日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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