2023年3月26日日曜日

7度を70倍するま 

 7度を70倍するまで、とは何のことだか分かりますか。これは、赦すことについての主イエスの見解です。自分に対して悪意を持って接してきた人を赦すことはとても大変なことです。私個人としては1人につき1度赦すのが関の山で、同じことで23度赦す、という事態になると、またこれかと怒りも倍増し、ますます赦し難くなります。

 日本古来伝わってきている教えでは、「仏の顔も三度まで」と言いますので、赦すことの上限は3度つまり3回までの事であって、それ以上は問われていません。多分、3度赦したということは、とても多く赦したことになるのでしょう。ちなみに、ユダヤ教でも赦しは3度までと教えられているそうです。

 イエス・キリストの弟子であるペテロは、ある時この赦しに関して、最大限の忍耐を示してこう言いました。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。7度まででしょうか」。7度というのは、3度の倍以上の数です。イエスさまによく言ったと言っていただけるのではないかとペテロは思ったかもしれません。

 しかし、イエスさまはこう言われました。「7度まで、などとはわたしは言いません。7度を70倍するまでと言います」(マタイの福音書1822節)。もちろんこれは490回まで赦せという意味ではありません。無制限に赦せという意味です。ペテロはさぞ驚いたことでしょう。

 イエス・キリストは、このことに関してたとえを用いて語られました。赦しの根拠に関して次のように述べられたのです(マタイの福音書182135節参照)。

 ある時、王は、そのしもべたちと借金を清算したいと思われました。まず1万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られました。ところが彼は返済することができなかったので、主人は当人も妻子も持ち物全部も売って返済するよう命じました。そのしもべは主人の前にひれ伏して「どうかご猶予をください。そうすれば全部お支払いいたします」と言いました。主人はかわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやりました。

 ところが、彼は出ていくと、彼に100デナリの借りのある仲間に出会い、首を絞めて「借金を返せ」といいました。その人は「もう少し待ってくれ。そうしたら返すから」と頼みました。ところが彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れました。これを伝え聞いた主人は「悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか」と言い、怒って借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡したのです。

 1万タラントというのはかなりの大金で、一国の王の身代金にも匹敵するものだそうです。それに比べて、100デナリは取るに足りない少額です。私たちの罪とは、いわば1万タラントなのです。その罪の負債は自分では到底償い切れないものです。ですから神は哀れに思い、イエスを救い主と信じる者に一切の罪の赦しを与えてくださいました。

 「赦し」は神の国の根幹をなす教えであり、また原則です。「赦し」の根拠は、イエスさまの十字架にあります。私たちが赦されるために、イエスさまは定められた時に十字架でみ苦しみにあわれました。神によってあなたが赦されたのであるなら、神もまた、赦されたあなたが、今度は赦す側に回ることをみこころとしておられます。7度を70倍するほど、私たちは赦されています。それ故、私たちもまた、7度を70倍するまで、隣人を赦し、愛しましょう。

 MIKOE NEWSから転載」 2023年3月26日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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