2019年7月17日水曜日

 

 聖書は、世界中で最も多く読まれている書物で、永遠のベストセラーといわれています。座右の書に聖書を挙げる人は少なくありません。
 聖書を理解するには聖書から入るのが最善で、テモテの手紙第二3章16節には、「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」と書かれています。
 まず知っていただきたいのは、聖書はすべて神の霊感によるものだということです。聖書は霊的な書物です。正しく聖書を読むには聖霊の助けが必要になります。クリスチャンになる以前の私も聖書を読んでいましたが、その解釈は極端で一人よがりなものでした。まさに矯正が必要で、自分の考えに合わせた私的解釈、つまりは都合のいい読み方をしていたのです。神のことばに聞く、というへりくだった心の姿勢があって初めて、神のことばは正しく聞けるのです。
 どういうふうに聞けるのかというと、皆さんが詩を読む時のことを思い起こしてください。ある一節が心に響く、そういった事があるでしょう。こういった事が聖書を読むことによっても起こります。それが語りかけというものです。
 救われた時、これからは毎日聖書を読み、毎日祈りなさいと勧められました。聖書を読むことはご飯を食べるようなもの、祈ることは息を吸うことだと言います。確かにこの二つによって私たちの霊のいのちが養われていきます。
 こうした霊性を土台にして、次第に私たちのうちに「聞く耳」が作られていきます。神のことばに親しい「耳」です。これを持つことは何よりも大きな祝福です。これこそ聖書の与える力であり、教えと戒めと矯正と義の訓練に欠けることのない有益なものをあなたにもたらせます。
 聖書を読みましょう。また、祈りましょう。
(イスラエル北野)


み声新聞2019年7月21日号(第1051号)より転載—

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