2019年5月22日水曜日

霊の世界

 「令和」という時代になって、多くの人が御朱印を求めて寺社に並んでいる様子をテレビが伝えていました。御朱印というのは、寺社仏閣に参拝したことの証しに求めるもので、日付と寺社名が筆で書かれ、赤い印が押されたものです。御朱印を頂くことは、その寺社との霊的な関係が結ばれたことを意味するといいます。
 私は、四国出身です。四国は「四国八十八箇所」という弘法大師が開いたとされる
88
の霊場を巡礼するお遍路さんで有名です。私の家族親族もこれに帰依して家には大きな額縁がありました。88の御朱印を一つに集めて額縁に仕立てています。とても高価なものです。
 さて、ある時、父が病を得、大きな手術をしなければならなくなりました。何とか助かってほしいと願った母と妹と私はこの額縁を捨てることにしました。父は激怒するでしょう。しかし、命には代えられません。聖書では、悔い改めて高きところを取り除くと、神が祈りに心をとどめられ、あわれんでくださったという記述があるので、偶像を取り除き神にあわれみを請う、もう私たちにはこれしかありませんでした。
 手術は成功しました。術中父は、夢なのか現実なのか白い雲に乗って天国に行ったと言います。予定より早く手術は終わり、医師も肝硬変には違いないがまだ大丈夫だと、早くもいやしさえ始まっていました。私はこれが、額縁を処分したことと深く関わっていると信じています。御朱印によって付けられた悪霊との関係が断ち切られ、キリストの支配のうちに入ったのです。
 世の中には、見えるところによらない霊的な世界というものがあります。特にいやしでは顕著にそれが現れてきます。悔い改め神に立ち返るなら、あなたは永遠のいのちを得ます。救いはキリストのうちにあるのです。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年5月26日号(第1043号)より転載—

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