2019年5月15日水曜日

弱 さ

 罪はいろいろありますが、「高ぶり」は人が最も陥りやすい罪だと思います。自分を高くしてしまうとまず元に戻ることはできません。私もこれで幾つか手痛い失敗をしました。
 使徒パウロは、ユダヤ人社会のセレブです。誇れるものはたくさんあります。にもかかわらず彼は、コリント人への手紙第二12章5節で「私自身については、自分の弱さ以外には誇りません」と告白しています。
 何があったのでしょうか。7節ではこう書かれています。「その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです」
 パウロが主から受けた啓示があまりにも素晴らしいものであったので、高ぶることがないよう、神はパウロに肉体のトゲを与えました。一説では病気であるといわれています。このトゲはパウロに絶えず弱さを思い起こさせるものとなりました。またパウロは、3度、これを私から去らせてくださいと神に願いました。しかし、神は「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(9節)と語られました。
 世は弱さを恥とします。しかし、神の前では弱さは恵みであり祝福です。なぜなら、弱いところには神が働くからです。
 それを悟ったパウロは「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」と語りました。神は、私たちの弱さを、恵みによって、強さへと変えられます。
 イエスさまを信じましょう。「私が弱いときにこそ、私は強いからです」(10節)ということばは、あなたの上にも必ず成就する、神の恵みのことばです。 (イスエル北野)

み声新聞2019年5月19日号(第1042号)より転載—

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