2018年8月1日水曜日

神を恐れよう

 神への恐れのない言葉がいかに愚かで有害なことか、聖書から学ぶことができます。
 列王記第二7章は、サマリヤにひどい飢饉(ききん)が起こった時のことを書いてあります。自分が産んだ子どもを食べるほど、その飢饉はひどいものでした。
 預言者エリシャは、王の所へ行き「あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる(極度の食糧不足が完全に解決され、激安で手に入れられるようになる)」と神のことばを語りました。
 すると王が寄りかかっていた侍従は、「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」と侮りを口にしました。
 エリシャは彼に「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることができない」と言いました。
 翌日、エリシャの言葉は成就します。大勢の民が食料を求めて出て来たため、侍従は民に踏みつけられ、門の所で死にました(1~17節参照)。
 エリシャは神のことばを語りました。しかし、それはあまりにも現実離れしているように思えたのです。侍従は、神のことばより現実を信じる人でした。だから、そんな事があるだろうか、と完全否定したのです。神を知らない人は、神を侮ります。しかし、神は生きておられる方であり、私たちが口にする言葉を聞いておられます。そして、その言葉に報いられます。
 神のことばを否定する者は神に否定され、神のことばを信じる者は神に受け入れられ、神の豊かな祝福にあずかります。
 こういう訳で、私たちは神を恐れましょう。箴言にはこのように書かれています。「主を恐れることは知恵の初め、聖なるお方を知ることは悟りである」(9章10節)
(イスラエル北野)

み声新聞2018年8月5日号(第1001号)より転載—

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