2018年8月22日水曜日

囚人としてローマに

 私は18歳でイエス・キリストを救い主として信じ、救われました。そして献身し、クリスマスに受洗する予定でした。
 ところが、あとひと月というところで病気になり、郷里に帰り、大学病院に入院しました。病気は軽くはなく、体を動かすことにも人の手が必要でした。受洗は神さまのみこころだから何よりも優先されるはずなのに、私はベッドの上だし、礼拝を持つこともできない。一体何がいけなかったのだろう。初めて神さまの愛を疑いました。
 病床で、私の心は決壊直前のダム湖のようでした。これ以上何かを加えるならダムが決壊するそのギリギリのところに私はいました。一日一日忍耐をするのに精いっぱいで、つらさのあまり心を封じました。
 教会の牧師になぜこんなことが起こるのかと聞くと、「パウロは、囚人としてローマに行った」という話をしてくれました。パウロに対する神のみこころは、彼がローマに行くことにありました。しかし、その方法は私たちの思いとは異なり、囚人としての護送であったのです。
 パウロは無実であったので釈放されるはずでした。しかし、カイザルに上訴したため、カイザルのいるローマに行くことが決定しました。こうなると、今度は訴状をしたためるため、政府のほうがパウロの述べる福音がどんなものかを丁寧に聞く必要が出てきました。あらゆる人々が福音を聞くための主の御手が置かれていました。
 入院は母が付き添ってくれました。礼拝のテープを聞くようになり、程なくして母は救われました。病人として私は郷里に帰りましたが、実質は、家族の救いのために神が遣わしてくださったのです。
 神さまの道は、私たちの思いよりはるかに高く、慕わしいものです。そして主の道は全て最善です。 
(イスラエル北野)

み声新聞2018年8月26日号(第1004号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿