2018年8月29日水曜日

 

 戦後の日本を建て上げてこられた方々が、今、一斉に高齢者になっておられます。そして、最も経済にゆとりがあるのもこの世代の方々だといわれています。それ故、ビジネスチャンスをうかがう向きもあって、ここ10年ほどあちこちで、立派なグループホームやセレモニーホールが次々と建てられています。
 「終活」という言葉が使われるようになったのも最近の事です。「死ぬことを念頭に置いてその準備をしよう」「子たちに負担をかけることなく、私らしい幕引きをしたい」。こういったニーズをつかんで、終活ビジネスは今や飛ぶ鳥を落とす勢いです。その中で、ある牧師は、「老後の備えより、死後の備えです」と語りました。
 私たちが通常考え得るのは老後の蓄えまでです。死後は分からないので、子たちに面倒をかけないように葬式費用を残しておく、あるいはセレモニーホールに積み立てをする、できることはそれぐらいでしょうか。
 しかし、本当に必要なのは、「老後」ではなく「死後」の備えです。イエス・キリストの福音によると、死後私たちは、イエス・キリストを信じ、パラダイス(天国)に行くか、あるいはハデス(よみ)に行くか、どちらかです。人の人生は死で終わるものではありません。
 私の田舎では、乳歯が取れたら、「スズメの歯より早く生えろ」と言って空に投げる風習があります。乳歯の後には永久歯が出てきます。同様に私たちの命もまた、この世の命の後に、キリスト・イエスが与えてくださる永遠のいのちが用意されています。イエスさまが、十字架で私たちを贖(あがな)って死んでくださったので、信じる者は救われ、永遠のいのちを頂きます。これこそ大切にしなければならない真の備え、真の終活です。(イスラエル北野)

み声新聞2018年9月2日号(第1005号)より転載—

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