2014年11月5日水曜日

 
 先日、ショッピング・モールで、行きつけの美容師さんと鉢合わせました。何でも病気になって、入院しなくてはならなくなったから、お店をお休みするそうで、私にどうやって伝えようか思案していたということでした。
 彼女は、美容師として独立し、自分の店を持ち、成功した人です。休日には北海道日本ハムファイターズの応援に行くことを楽しみにし、公私ともに充実した日々が彼女とともにありました。
 聖書には、こんな言葉があります。「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう」(マルコの福音書8章36節)
 また、詩篇49篇ではこう語られています。「恐れるな。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。人は、死ぬとき、 何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下ってはいかないのだ。(中略)人はその栄華の中にあっても、悟りがなけ れば、滅びうせる獣に等しい」
 悟りとはなんでしょう。それは、私たちは明日のことは分からない、死ぬときに何一つ持っていくことができない、という現実を知ることです。
 神さまは、私たちが神さまを知り、信じ、そして救われるように御子イエス・キリストを下さいました。
 イエスさまは、十字架で死なれ、また復活をとげ、私たちを贖ってくださいました。
 イエスさまを信じ、従いましょう。私たちには明日のことは分かりませんが、神さまはすべてご存じです。そして神さまは私たちの人生を祝福し、守ってくださるのです。このイエスさまを信じ、従う人生こそ、悟りのある人生なのです。 (イスラエル北野)

み声新聞2014年11月9日号(第805号)より転載—

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