2013年2月25日月曜日


秀吉の恐れ

1584年、時の権力者である豊臣秀吉は、バテレン追放令を出し、キリスト教
を禁教としました。彼は成り上がりものですが、政治家としての手腕は 一流で
した。というのも、当時、信者は既に20万名を超えており、大名など地位の高い
者も相次いで信仰を持ち、土地を寄進する者も出てくるのを見 て、このまま野
放しにすると日本は植民地になる、秀吉はそう危惧しました。
 ローマ皇帝であったネロも、クリスチャンに対して同様の危惧を持っていまし
た。伝承によれば、ネロはローマを焼いた大火をクリスチャンのせいだ と政治
利用し、コロッセオに信者を集め、ライオンに食わせて殺してしまいました。さ
ぞかし残酷な光景であっただろうと思います。ところが、信者は 臆することな
く、抵抗するでもなく、喜びに満ちて殉教してゆきました。これにはネロも驚き
ました。
 キリスト教は国を変える、ここのところを秀吉は看破していたのです。事実
ローマ帝国はあれほどの迫害にもかかわらずAD392年には何とキリス ト教
を国教にするに至っています。キリスト教は危険だと政治の指導者たちが思うの
は何ら不思議ではありません。なぜなら信者は信仰を捨てるどころ か殉教をも
厭わないからです。
 宗教が政治とぶつかった折りには、迫害が起こります。殉教は理不尽なもので
しょう。しかし、喜んでその道を進んでゆこうとする多くの神の子たち がいま
す。彼ら殉教者たちは、天国で与えられる報いと永遠のいのちをはっきりと見て
いるのです。
 イエスさまは、この永遠のいのちを与えるためにこの地上に来られました。イ
エスさまを信じる者は全て、永遠のいのちを受けます。信仰を全うして ゆきま
しょう。   (イスラエル北野)

 み声新聞2013年3月3日号(第717号)より転載—

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