2024年4月18日木曜日

アブラハムは信じた

 かれこれ20年になるでしょうか。稚内教会設立のための準備で、家族で何度も稚内に通いました。聖会は夜なので、帰りは真夜中になり、辺り一面真っ暗になります。すると、星が瞬くのです。あまりにもきれいなので車を止めて、家族全員で外に出て天を見上げました。天の川は雲のように煙って見え、降り注ぐばかりのたくさんの星が天を覆っていました。

 私たちは誰彼となく創世記15章を想起していました。5節で神は、アブラム(後のアブラハム、以下アブラハムで統一)を外に連れ出して言われました。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。あなたの子孫はこのようになる

 既に老人であり、子もないにもかかわらず、アブラハムはこのことばを信じました。神のことばを信じ、そのことばが成就することを堅く信じたのです。同6節では「彼(アブラハム)は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」と書かれています。さらっと書いてありますが、ここに信仰の奥義が詰まっています。

 アブラハムは何か特別なことをしたわけではありません。ただ自分の状況よりも神のことばを優先させて、神のことばに立ったのです。ただ信じた、それだけのことです。しかし、それだけのその信仰を神は義(正しい)と認められたのです。神が私たちに求めておられるのは、ただ一つ。信じることです。

 それはまた、神の知恵でもあります。なぜなら、信じることは誰であってもできるのです。富んだ者も貧しい者も、老いも若きも、信じることにおいては等しいのです。それゆえ神はすべての人を救うにあたって、信仰という手段を用いることを選ばれました。アブラハムが「信仰の父」と呼ばれているのも、彼が神のことばを信じ、栄光を見たからに他なりません。

 信仰の素晴らしいところは、信じたなら必ず信仰は実を結ぶことです。確かに成就に至るまでは、試しや忍耐が許されます。しかし、信仰の種を蒔(ま)くなら、必ずそれは芽を出し、育ち、やがて実を結ばせます。信じることは神の働きにあずかるための確かな一歩です。

 冒頭に戻りますが、アブラハムは空の星を見て、子どものいない彼に、あなたの子孫はこのようにおびただしくなる、と約束された神を信じました。アブラハムはそこで、現状ではなく神のことばの方を受け取ったのです。これが信仰です。

 信仰が現れた今、私たちもまたアブラハムと同じように現状を超えた信仰による祝福を受けることができます。神のことばは、信じることによって実を結びます。ですから、信じることはとても大切です。不信仰からは何も生まれません。しかし、信仰は現実を超えた働きをするのです。まさに信仰は生きているのです。

 私は、イエスさまを信じるようになって41年になります。この間、多くの患難困難がありました。けれども、神への信頼が失望に終わったことはただの一度もありません。確かに試しがありました。しかし、どんなに試されても神のことばを信じる、その繰り返しによって信仰が立て上げられ、時至って神のことばは成就しました。信仰こそ神の目にかなうあり方であり、それは神の手を動かすのです。

 ローマ人への手紙4章にはこのように書かれています。「彼(アブラハム)は望みえないときに望みを抱いて信じました。彼は、不信仰によって、神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰(き)し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです」(182022節抜粋)。望みえない時にアブラハムは信じました。あなたは、どうですか。神とそのことばを信じてみませんか。望みえない時こそ信仰を働かせる絶好の機会です。

 どうかイエス・キリストをあなたの救い主として、心にお迎えください。主はあなたにも、信仰による勝利と奇跡のみわざを現してくださいます。 

MIKOE NEWSから転載」 2024年4月18日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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