2023年9月20日水曜日

信仰のある人生

 神さまは心の広いお方なので、イエス・キリストを信じていなくても、皆さんの人生に折にかなった祝福を与え、泣くことも笑うこともある、ごく普通の人生を用意してくださっています。ですから、私たちは、信仰を持たなくてもそれなりに満足した平凡で幸せな人生を送ることができるでしょう。

 けれども、私たちにはさらに優れた人生があります。それは信仰を用いる人生です。信じなければ何も起こりません。しかし、信仰を働かせるなら驚くほどの奇跡や祝福、神の現実を見るのです。

 マタイの福音書14章で、ペテロは信仰を用いるという行動に出ました。真夜中、イエスさまが湖の上を歩いて来られるのを見て、ペテロは「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」と言いました。イエスさまは「来なさい」と言ってくださいました。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行きました。これは奇跡です。あり得ないことが、信仰によって起こりました。

 もしペテロが、舟にいただけならそのままです。湖を歩くという奇跡を体験するなんてことはなかったでしょう。しかし、イエスのことばを求め、頂き、信仰を働かせ実行したところ、奇跡が起こりました。このように、信仰のある人生とない人生では起こってくる事柄に大きな開きがあるのです。

 教会に海外宣教が開かれた当初、私は、それに加わる経済がありませんでした。そこで、行かせてくださいと主に求めたところ、イエスさまは「来なさい」と言ってくださいました。それで、参加するつもりでパスポートを取りました。さらに求めて祈ると自然な形で必要が満たされ、まさかの宣教に行くことができました。もちろん宣教に行かなくても、神の祝福は変わりません。しかし行くなら、それとは別に用意された神の特別な祝福があるのです。

 信仰を運用するにあたっては、行いが非常に重要なファクター(因子)です。信じていない人は何も行いません。しかし、信仰を持つ人はそれを行いによって表します。ペテロは実際舟から出て水の上に立ったのです。信仰は行いとともに働くものなのです。ヤコブの手紙2章に「信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです」(17節)とも「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです」(26節)と書かれている通り、信仰は行いをもって用いる時こそ、その強力な力を発揮します。

 人生に信仰を加えると、思いもよらない奇跡と神の栄光の現れを見るようになります。そして、これこそ神さまが私たちに与えようとしておられるものです。神のみこころであり、また心からそれを願うなら、私たちもペテロと同じように水の上に立つことができるのです。神さまにおできにならないことはありません。むしろ、信仰によって恵みをどんどん引き出していきなさいとおっしゃることでしょう。

 それゆえ、私は皆さんに、信仰のある人生をお勧めいたします。信心をしなくても私は、今、十分祝福されているのだという人もいます。そうでしょう。でも、それでもそれはまだあなたに対する人生の恵みのほんの一部しか味わっていません。命ある限り神を知ってゆく、学んでいく、それが私たちへの神のみこころです。ペテロは水の上を歩きました。このような奇跡があなたの人生にも起こります。波乱万丈な人生でしょう。しかし、これこそ「わが命を生きた」という人生ではないでしょうか。

MIKOE NEWSから転載」 2023年9月20日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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