2020年12月16日水曜日

あなたの値段

 年の暮れになると、毎年、東京湾で海の大掃除をするそうです。東京湾は深いので何でも捨てられており、時々驚くような発見があります。大きなところでは、冷蔵庫やドラム缶、タイヤ、テーブル、と家電が目立ちます。しかし、時には自転車に車、そして車の中に男女まで乗っていることがあり、こうなれば警察の出動となります。

 ある牧師は、よくこの東京湾のことをたとえに出して「罪の赦し」のことを教えてくれました。私たちは、罪の大きい小さいにこだわってしまうところがあります。小さな罪の赦しは受け入れやすいけれども、大きな罪、道ならぬ罪、これらは赦されたと信じることができませんと語る人も多いのです。

 すると、牧師はイメージの中で私たちを東京湾の埠頭に立たせます。ペンを投げると、ぽちゃんと沈みます。次は冷蔵庫です。力を込めてドンと押します。大きな波音がして、冷蔵庫は海のなかに沈んで行きました。どちらも沈んだでしょう、と牧師は言います。

 罪もまたこれと同様なのです。確かに罪には大きい小さいというような差があります。しかし罪は大小ではなく、有るか無いかで裁かれるものなのです。悔い改めるなら、どんな罪であっても、(ペンであろうが冷蔵庫であろうが)、等しく東京湾に沈んで(赦されて)ゆくのです。それは罪において赦されないものは一つもない、ということなのです。

 今日お話ししたいのはまさにそれ、赦されない罪などない、ということです。イエス・キリストは、私たちを罪から贖うために世に来られました。神であられながら身をいやしくされ、病をいやし、悪霊から解放し、最後には罪人とともに十字架にかけられ、死なれました。「彼の打ち傷によって私たちはいやされた」(イザヤ書535節)と書かれている通り、イエスにより私たちはいやしを受け、罪の赦しと永遠のいのちを頂いているのです。

 いいかえれば、それらを与えるために、イエスは世に来られたのです。私たちは罪人であり、自分で自分を赦すことはできません。一生罪の中に囚われていることを、イエスさまは憐れまれました。神は、私たちを愛しておられるのです。

 あなたを罪や死の原理から取り戻すために、イエスさまは、十字架にかかって死んでくださいました。あなたの値段は、御子イエスの十字架です。これより高価な贖いしろはありません。あなたを買い戻すために主は何という犠牲を払ってくださったことでしょう。

 イエスさまはどんな時にもあなたとともにいてくださいます。あなたを赦すために主は、十字架で死なれました。よみがえられた今は、多くの方々の救いのために、あなたもまた用いて下さいます。

 MIKOE NEWSから転載」 2020年12月16日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/  

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