2020年1月8日水曜日

ペテロの涙

 ペテロはイエスの弟子の筆頭で、誰よりもイエスを愛しているという自負を持っていました。
 イエスさまが、十字架にかけられ死なれる時が来たことを弟子たちに告げた夜、イエスさまはペテロに言いました。「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカの福音書223132節)
 ペテロは「主よ。ごいっしょになら、牢(ろう)であろうと、死であろうと、覚悟はできております」(33節)と言いました。しかし、イエスさまは「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います」(34節)と語られました。
 ふたを開けてみるとどうでしょう。ペテロはイエスさまが語られた通り、鶏が鳴く前に3度イエスを否みました。イエスさまは振り向いてペテロを見つめられました。ペテロは主のことばを思い起こすと、出て行って激しく泣きました(5662節参照)。
 ペテロはできませんでした。イエスを愛し、死への覚悟さえ持っていたはずなのに、主を否んでしまいました。彼は自分の内にあるどうしようもない弱さと、初めて知る、人の根幹にある罪に直面したのです。
 しかしそれは、神によってより優れた働きのスタートになりました。従えないと知ることと弱さを知ることは神の働きを担うために通らなければならない学びです。この後ペテロは、一度に5000人の者が救われるような働きをなします。私たちが弱い時、神の力が私たちを覆います。この力によって、私たちは神の働きを担うようになるのです。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年1月12日号(第1076号)より転載—

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