2018年9月12日水曜日

いと高き道

 2018年9月6日未明、突然の激しい揺れに目を覚ましました。北海道胆振(いぶり)東部地震でした。
 最大震度は7で、この地震で多くのライフラインが寸断され、今も不自由な生活を強いられている方が大勢います。
 ある人は「神がいるならなぜこんな事が許されるのか」と語り、別な人は「私は神を許さない」と言いました。試練に入ると、人はその理由を求めて、神に向かうようになります。
 ヨブもまた試練の人でした。1日にして財産と家族を失いました。しかし、彼は愚痴をこぼすこともなく、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1章21節)と主をたたえました。
 神が与えてくださるものだから、良い事も悪い事も等しく受けよう。そんな信仰を垣間見ることができます。何と素晴らしい告白でしょうか。
 コリント人への手紙第一10章に、「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(13節)と書かれています。
 どんなにつらくても、どんな試練でも、神は私たちが耐えることのできないような試練は与えられません。必ず脱出の道が備えられています。
 後にヨブは、失ったものの2倍のものを神から受けました。神は義であり、全てにおいて神は正しいのです。
 なぜこのような試練が許されたのか。この問いに対する答えは時間がかかるかもしれません。また、知らされないかもしれません。しかし神は、必ずあなたにも脱出の道を備え、ご自身の義をもって、あなたを祝福し、いと高き方の道を知らせてくださいます。(イスラエル北野)

み声新聞2018年9月16日号(第1007号)より転載—

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