2018年9月19日水曜日


 先日の北海道胆振東部地震で全道的に停電になり、夕方からは懐中電灯を用いました。しかし、電池の減りが心配で、ロウソクを使うことにしました。するとどうでしょう。たちまち温かな光が周りを照らしました。電池の光は武骨ですが、ロウソクの光はほっとするような柔らかな光でした。
 光は、神さまを表す語として、聖書の中では頻回に用いられています。「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない」(ヨハネの手紙第一1章5節)とか、「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」(ヨハネの福音書1章5節)という聖句が有名です。
 かれこれ30年になるでしょうか。父が食道静脈瘤(りゅう)破裂で死線をさまよったことがあります。夜中に病院に呼ばれ、父の枕元に立つと、私には、父を刈り取ろうとする悪霊どもがうごめいているように見えました。その悪霊は、「これ(父)は、私のものだ」と主張し、父のいのちを自分たちの取り分として持って行こうとしていました。
 でも、父にとって幸いであったのは、神のことばがあったことと、2人の娘がクリスチャンであったことです。
 私たちは前述の聖句、特に、ヨハネの福音書1章5節を告白して行くように導かれました。するとこの聖句は悪霊に対して驚くほど強力な力を発揮したのです。
 光は、闇を照らすものです。どれだけ暗黒な闇であっても、そこに光が置かれたなら、一瞬のうちに闇は消えます。主の勝利というのはこのように圧倒的なものです。これが神の戦いであり、また勝利です。父はこの後、イエスさまを信じて救われました。
 イエスさまは光です。どのような闇にも打ち勝たれます。イエスさまを信じ、光の子どもとなりましょう。神は勝利を現してくださいます。
(イスラエル北野)

み声新聞2018年9月23日号(第1008号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿