2016年11月7日月曜日

ただ信ぜよ
 皆さんが世界の全員を等しく救いに導くとしたなら、いったいどんな手段を講じますか。また、神はどうされたでしょうか。
 コリント人への手紙第一1章で、パウロは次のように語っています。「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです」(21節)
 宣教のことばの愚かしさを通して救う、というのが神さまの方法です。
 以前、Aさんというご婦人に伝道したところ、彼女は「うふふ」と笑いました。取り付く島がない様子で、処女が身ごもるなんてあり得ない、聖書は1ページ目から私は駄目よ、と門前払いでした。
 知恵によって信じようとしたAさんは、信じることができませんでした。愚かに思えたからです。しかし、これこそが神の知恵なのです。神はあえてつまずきを置き、また愚かさをまとい、肉の力によらないご自身への信仰を通して、人々が信じて救われるように福音を下さいました。
 多くの宗教が、勤行苦行など賢そうな事を行っています。しかし、それはその人を救うことができません。救いはイエスにあるからです。
 「ただ信ぜよ」。これが先人たちから聞いた言葉です。誰であれ、イエス・キリストを救い主として心に信じ、口で告白する者は皆救われます。お仏壇もお勤めも、その人を救うことはできません。しかし、信じてイエスさまを心にお迎えするなら、あなたは救われます。
 「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(同18節)
 
(イスラエル北野)

み声新聞2016年11月6日号(第909号)より転載—

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