2016年10月23日日曜日

よみがえったラザロ
 ヨハネの福音書11章には、ラザロのよみがえりについて書かれています。その姉妹、マルタとマリヤはイエスに使いをやって言いました。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です」(3節)
 イエスは、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神がそれによって栄光を受けるためです」(4節)と語られました。しかし彼女たちには、まだこのことばの意味が理解できませんでした。
 ご自分のなすことを知っておられたイエスは、なお二日とどまり、ラザロが墓に入れられて腐敗するころ墓に着きました。墓に立てかけてある石を取りのけなさいと語ったところ、マルタは、「もう臭くなっておりましょう。四日になりますから」。と言いました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか」(40節)とイエスは言いました。主のみこころはいやしばかりではなく、さらに優れたよみがえりにあったのです。ラザロはよみがえり、神は栄光を現されました。
 私には、55歳の若さで肝臓がんによって天に帰った父がいます。神さまは、父の病を通してもご栄光を現してくださいました。愚痴を言うことなく感謝し、最後まで決して諦めなかった父の姿は、多くの人の心を動かしました。父は、ラザロのように直ちによみがえることこそありませんでしたが、やがてラッパの音が響く復活の日に、御霊のからだを頂くことを私は信じています。父だけでなく、キリストの救いにあずかった全ての聖徒は復活し、永遠に生きる者となります。
 死は、復活の勝利にのまれました。忍耐を持ってその日を待ちましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2016年10月23日号(第907号)より転載—

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