2016年3月8日火曜日

 
 先日、白馬スネルゴイキャンプに参加しました。
 開会聖会の賛美が始まると、いきなり特別なご臨在が下りました。賛美は一つの声になりました。賛美のうちに、私たちも引き上げられ、人手によらない聖霊のご臨在に打たれました。会衆の声というよりむしろ御使いたちの天の賛美がそこに現されたかのような賛美で、思わず熱いものがこみ上げてきました。
 このところ、私たちの賛美はいやしの働きをなす、ということが医学的にも認められてきています。確かに賛美にはその力があります。その秘訣は何でしょう。
 詩篇22篇3節にはこのように書かれています。「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます」あなたとは主です。賛美の中には、主がいてくださるのです。私たちは賛美を通して神さまと交わることができるのです。
 長崎の二十六聖人が処刑される時、少年アントニオが賛美を始めるとその場の空気が一変したと言われています。賛美によって天の臨在が下ってきて、刑場を満たしました。残酷な処刑にもかかわらず、多くのクリスチャンが私も十字架に付けてくださいと願い出ました。賛美は、私たちのたましいに、霊に触れるのです。
 ヘブル人の手紙12章には、「しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです」(22節)と書かれています。私たちの賛美は発展し、やがては天の軍勢とともに神さまを賛美するようになります。賛美を通して、その前味を神さまは見せてくださいました。賛美をささげ、主を礼拝いたしましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2016年3月6日号(第874号)より転載—

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