2012年2月22日水曜日

信仰の冒険

私は1987年の12月にイエス・キリストを信じ、新しくされました。クリスチャンとして生きることがあまりにも素晴らしいので、献身しまし た。両親は怒り、私は勘当されました。
若かったということでしょうか、反対されても、何があっても生ける神を知りたい、その思いが強く、心中わびつつ親不孝をさせていただきました。
取りあえず、神さまのことを優先させようと全ての神学校の科目を取りました。すると空いている時間は、月曜日だけになりました。経済はどのように満たされるのでしょうか。当時、家賃の半分をささげてくださる人はいましたが、あとの必要は、まさに神頼みでした。私は、自分が、水の上に立って歩きだしたペテロのよう に思えました。歩き始めたのはよいが、波に目をそらせたペテロは沈みかけました。私の献身も溺れたらどうしようと、不安になりました。しかし、聖書をよく読んでみると「イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかん」だと書いてあります。溺れたとしてもイエスさまの助けが入る。心は定まりました。
さらなる必要もまた神さまだけにより頼みました。こちらから探すことはせず、向こうから話が来るように祈りました。そして、正直に、「肉体労働をする力はありません。持てるものといったら教員免状だけです。しかも働ける日は月曜だけです。時給は2000円以上必要です」、そう申し上げま した。
それから数日たって、ついに一本の電話が鳴りました。予備校教師の依頼でした。しかも募集していた方はクリスチャンで、こちらの証しを聞くと、面接なしで即採用となり、2300円の時給を付けてくださいました。
ハレルヤ。神は私たちの信頼の的です。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年2月26日号(第664号)より転載—

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