ザアカイ
ルカの福音書19章で、ザアカイという人物が登場します。「彼は、取税人のかしらで、金持ちでした」。この一節から、彼がおおよそどういう生き方をしてきたかが分かります。
いわゆる拝金主義です。取税人は、ローマへ支払う税の取り立て屋であり、しかもその上に上乗せまでして取り立て私腹を肥やしていたと言われています。それゆえ、かれらはユダヤ社会では嫌われ者でした。その取税人のかしらというのであれば、もうけのために相当悪いことをしてきたことでしょう。
箴言17章8節に「わいろは、その贈り主の目には宝石、その向かう所、どこにおいても、うまくいく。」と書かれています。これが、お金の力です。わいろの見返りというものは、必ず贈り主に帰ってきます。どうやって財産を築いたか、ザアカイはお金の力を知り尽くしていた人だと思います。そして、お金以外信じられない人になっていただろうと思われます。
あるファーストレディーが、「私、お金のない人はだめなの」と公の場でこう語ったことを聞きました。世の中には本音としては彼女の言葉に同調する人は多いと思います。では、お金持ちはぜいたくか、といえば必ずしもそうではないのです。金持ちほど、お金を使いたがらない傾向があります。それは、彼らがお金を信じているからです。信じるお金が減ることは耐え難いことなのです。蓄え蓄え、お金に仕えるような人生を送り、またお金を持っている自分にうぬぼれていますが、それがみじめな生き方であることには全くというほど気づいていません。確かにお金は、至る所で通用する力があるからです。しかし、こんな現実だけを見るだけの考え方で果たして良いのか、と私は疑問に思います。
イエスさまは王であるのに、ご自分の国である世に来られた時、貧しさの中に身を置かれました。自分を富ますことをせず、人々にご自分を与え尽くされました。また、マタイの福音書6章には「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(20、21節)と語られ、改めて私たちの宝、私たちの心がどこにあるかと問われました。
そして、24節でははっきりとイエスさまは「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」とおっしゃいました。
こんな中で、ザアカイはイエスさまに出会ったのです(ルカの福音書19章1~10節参照)。ザアカイは、地元で評判になっているイエスさまにぜひ会ってみたいと思っていました。何かが、ザアカイの心を動かしていたのです。しかし、彼は背が低かったので、群衆のために見ることができませんでした。もしかすると、背が低いことはザアカイのコンプレックスで、それが彼を拝金主義に向かわせたのかも知れません。しかし、群衆は彼を嫌っていたので、誰一人として彼に場所を譲ってくれる人はいませんでした。
そこで、ザアカイは先回りをして、いちじく桑の木に登ってイエスを見ようとしました。イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言うのです。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」。ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えました。
人々は、あの方(イエス)は罪人のところに行って客となられた、と言ってつぶやきました。しかし、素晴しいことがすでに起こり始めていたのです。
ザアカイは立って、主イエスに言いました。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
イエスは、彼に言いました。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」
イエスさまに出会って、ザアカイは救いを得たのです。イエスさまの愛が、彼を変えました。彼は、イエスさまがどんな方か、また自分を愛してくださっていることが分かったのです。今や、ザアカイの価値観は一変しました。お金ではなく、主の内にこそ永遠に続く価値があることを彼は知ったのです。それゆえ、先ほどのような言葉が、彼の内から出てきたのです。
人をキリストに近づけるのは、お金ではありません。心です。あなたの宝とするものが何であるかが、あなたの心を現しています。ザアカイは、その心をお金から主イエス・キリストに変えました。それで、主もまた「きょう、救いがこの家に来ました。」と言ってくださったのです。
テモテへの手紙第一6章10節にこのようなみことばがあります。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」。金銭を愛することは、ろくなことではありません。確かにお金は必要ですが、それが目的になってしまった時、大きく人生を誤ってしまうことを私たちは知っておきましょう。まことのいのちを得ることも、お金では買えず、ただキリストの恵みによることを忘れないでください。
MIKOE NEWSから転載」 2025年5月21日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/
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