2023年2月18日土曜日

 人というもの~アダムとエバの成り立ち

 詩篇8篇の中でダビデはこのように述べました。「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました

 その通り、神は私たち人を他の被造物とは異なり、万物を支配するものとしてお造りになられました。聖書の冒頭にあたる創世記1章で、神は6日かけて万物を創造されました。そして26節で「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らがすべてのものを支配するように」と語られ、「神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」(27節)のです。

 2章では、さらに詳しく「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった」と記されています(7節)。そして、東の方エデンに園を設け、そこに人を置かれました。人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけ、その名がその物の名となりました。ところが、人にはふさわしい助け手が見あたらなかったのです。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」(18節)。神はそう思われました。

 そこで神である主は、彼に深い眠りを下され彼のあばら骨の一つを取り、ひとりの女に造り上げ、人のところに連れて来られました。人は言いました。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから

 こうして、「男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」と聖書に明言されている通りになりました(224節)。男はアダムであり、アダムは妻をエバと呼び、それがその名になりました。ここに書かれているのは、次回に詳しく述べますが、婚姻の奥義です。

 6070年代、私は小学生でしたが、よく男女平等が語られていました。何でも平等でなければならない、そんな風潮がありました。おもに女性の地位の向上が求められ、単純に男性に並ぶ役職を持つことが平等だと思い、形は手に入れました。しかし、聖書の語る平等はそれとは異なるのです。エバはアダムの助け手として、アダムから造られたのです。メインはアダムで、エバはアダムの強力な補助なのです。その関係はいわば主と従であり、男に求められることと女に求められることは異なります。そのことを知っていなければ、本来の祝福には至りません。本来の祝福とは、アダムでもなくエバでもない「ふたりは一体となる」というところにある奥義です。このことに関しては、次回に詳しく述べたいと思います。(続く)

 MIKOE NEWSから転載」 2023年2月18日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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