2021年2月17日水曜日

『恐れ』について

 人は、その恐れる所に従って、恐れるものに支配されるという性質を持っているように思います。恐れると、その恐れたものの奴隷となります。それ故何を恐れるのかという問題は、私たちの人生に関わってくる重大な問題ではないでしょうか。

 サムエル記第一に、イスラエルの初代王であるサウルの行状が記されています。サウルは美青年で見映えがするので、多くの民が彼こそ王になるにふさわしいと思いました。

 しかしこのサウル、弱さがありました。外見とは異なり彼は蚤の心臓で、人にどう思われているかが気になり、人を恐れてならないのです。これが、彼の人生にどう展開しているか聖書は余すことなく記録しています。

 王に任命されたサウルは、アマレクを聖絶せよとの使命を頂きました。イスラエルがエジプトから上って来る時、ひどい仕打ちがあったからです。そのすべてを聖絶せよ、と主は語られました。ところがサウルは、その戦いの中で、アマレクの家畜やすべて最上のものを惜しんで、値打のないものだけを聖絶しました。

 このことは、大いに主のみこころを損ないました。サウルもそれを認め、24節でこのように言います。「私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです」。

 ついで、サウルは去って行こうとするサムエルに泣きつきます。「どうか今は、わたしの民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください」(30節)。この期に及んでもサウルは、自分の面目を気にします。ご自分を召し出された神を恐れるのではなく、神よりも世間を、人を、恐れました。

 箴言29章に「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」(25節)と書かれています。サウルは人を恐れ、それがわなとなりました。

 それでは、どうするとよいのでしょうか。答えは、「主を恐れる」ことです。箴言1章には、「主を恐れることは、知識の初めである」(7節)と書かれています。同166節には、「主を恐れることによって、人は悪をはなれる」とも書かれています。人は神への恐れを持つ時、神によって正しい道を歩みます。そしてそのポイントは「主の御声に聞き従う」ことにあるのです。

 人を恐れるとわなにかかります。しかし、神に聞き従う人生は、あなたを解放しわなから守ります。神を恐れることを学びましょう。 

 MIKOE NEWSから転載」 2021年2月17日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

0 件のコメント:

コメントを投稿