2021年1月6日水曜日

唯一の救い

  世にはさまざまな宗教があります。私見を述べると、多くの宗教は偶像をあがめていますが本質においては人間中心で、こぞって人の喜ぶものを追求し、ご利益をうたい約束し、多くの信者を獲得しています。それに対して同じ宗教のカテゴリーの中にあっても、キリスト教が約束するのは世のものでなく神のものであり「救い」です。「救い」は世のご利益信仰とは次元の違うものです。一方的な恵みによって神が私たちの父となり、すべての罪が赦され、永遠のいのちが与えられるのです。

 新約聖書の使徒の働きではこのように書かれています。「この方以外には、誰によっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです」(412節)。

 その名とはイエス・キリストです。イエス・キリストは、十字架によって人類のすべての罪を負い、死なれました。そして、3日目に死からの復活を果たされました。主の十字架は私たちの贖いの代価なのです。イエスを信じる者とは、十字架の贖いを信じる者です。そして、その人は死から命へと移っています。私たちは罪が赦されるだけでなく、永遠のいのちが与えられているのです。

 ルカの福音書23章では、イエスさまが、犯罪人二人の真ん中で十字架にかけられた時の様子が書かれています。群衆とともに、十字架にかけられた二人の罪人もイエスを罵り、罵声を浴びせかけました。ところが、ひとしきり悪口を言い終わると2人の罪人の中の1人に変化が起こります。

 彼は言いました。「おまえは神をも恐れないのか。(中略)われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」。

 これに対してイエスさまは「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と言ってくださいました。死を目前にした時、見えるものがあるのでしょう。主イエスは彼を受け入れてくださり、罪人は救われました。

 神は愛です。誰であれ、罪を告白し悔い改めて捨てるなら、罪は赦され、あたかも何の罪を犯さなかった者と同様の祝福で満たしてくださいます。また、十字架の前に赦されない罪は1つもありません。悔い改めて立ち返るなら、どんな罪であっても赦され、たとえ死の中にあっても避け所があります。私たちは神の子とされ、罪に換えて永遠のいのちを与えられます。これこそ私たちの信仰の確信です。イエスを信じるとは、イエスさまの十字架による罪の贖いを信じ、イエスの死と復活を信じ、自分の個人的な救い主として心にお迎えすることです。

 人は自分の罪を知った時、初めてイエスの十字架の元へたどり着きます。イエスさまは救い主です。他の救いはありません。

  MIKOE NEWSから転載」 2021年1月6日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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