2020年11月4日水曜日

約束

 子どもの頃、よく友だちと指切りをしました。「指切りげんまん。うそついたら針千本飲ます。指切った」と歌い、互いの小指を絡めてそれを切り、堅い約束を交わしました。興味深いことは、指切りは必ず11間の約束であったことです。指切りの対応は、複数の者と同時に指を切ることはできません。どうやら約束というのは、神や人に対して、11の間で結ばれるもののようです。

 私もまた、イエスさまを信じ、救いを頂いた中で、多くの約束を受けました。罪の赦しをはじめ、いやしや、折にかなった助け、脱出の道を頂くなどで、受けた約束のことばは多岐にわたります。

 頂いた約束のあるものは既に成就しました。しかし、長年にわたって忍耐し、辛抱強く待ち続けることによって成就したものが多くあり、また、まだ成就していない約束も数多くあります。信仰の約束と忍耐は表裏一体で、約束を受けたその時から、忍耐もまたスタートします。

 教会においてもまた、成就を待ち望んでいる約束のことばがあります。その一つはハバクク書の預言のことばで、「もし、遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れることはない」(23節)というものです。直接的には、私たちはこれを後の雨、すなわち世の終わりに起こる大リバイバルの約束のことばであると信じています。結婚や就職のみことばとして受け取った人もいますが、つまりは「待たされますが大丈夫ですよ、遅れることはありません」という意味で、三十数年来の約束のことばとして、私たちはこれを信じ、希望を抱き、熱心に待っています。

 約束は必ず試されます。実現するその時まで待たされ探られ試されます。そして、試しと忍耐を経た後に、約束のことばは成就します。

 へブル人への手紙10章には、このように書かれています。「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(3536節)

 まさに求められるのは忍耐です。ヨブを思い起こし、またヨセフを思い出してください。彼らの上に置かれた忍耐の年月を思い出していただきたいのです。神の約束とは真逆の方向に現実は向かいました。絶望することもできたでしょう。いっそその方が楽だったかもしれません。しかし彼らへの神の約束は変わらず、忍耐の末に彼らはその約束の実を得ることができたのです。

 私たちもまた、忍耐を働かせ時を待ち望みましょう。もし遅くなっても、それを待ちましょう。約束は必ず成就し実現します。

MIKOE NEWSから転載」 2020年11月4日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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