2020年8月22日土曜日

 失うことは得ることです

 聖書の福音書には、それぞれ次のようなイエスさまのことばが引用されています。「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです」(ルカの福音書924節)というものです。 

 これはイエスさまが得意とする逆説的な表現で、究極的には殉教のことを指すことばとして読むことができます。世において、自分に死んで自分中心にではなく神さまを中心に生きる時、私たちは祝福されます。神に聞き従う人生がいかに祝福されるかを、イエスさまはこの箇所から伝えようとしておられるのです。 

 さて、世界的なピアニストとして活躍しておられる辻井伸行氏は、つとに有名で、多くの人の心に触れる演奏をします。彼は、ここでこの音をといった瞬間、痒い所に手が届くように、まさにその音を正しく出してくれます。多くの人が素晴らしいと絶賛してやまない天与の才があります。 

 その辻井さんは、生まれながら目が見えないという障がいを抱えておられます。しかしその演奏にはハンディなど微塵も感じさせません。むしろ、優れた資質が露わにされています。確かに辻井さんは眼が不自由です。でも、見えるところ以上の心の眼を確立されており、それを最大限に用いて演奏をなされるのです。辻井さんの人生には神の栄光を見る思いがします。目が見えないことは、彼にとって、失ったこと以上に、得ることが大きいものとなったのではないかと私は思います。 

 殉教も同様です。私たちは肉の命こそ失いますが、神が下さる永遠のいのちに与ります。神にささげたものは幾倍にもなって戻ってきます。一見失うように見えますが、神はさらにすぐれたものを備えておられるのです。殉教には殉教の報いがあります。 

 以前は、私は失うことはその時点で終わりだと思っていました。しかし、そうではありませんでした。私たちの人生には、失うことによって、得るものがあります。また、得させるためにあえて、失わせるものもあります。そしてどの道においても、神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。これこそ私たちの確信です。 

 こういう訳で、私たちは神に知られているのですから、恐れることはありません。すべてのことを感謝し、イエスキリストを信じましょう。

 MIKOE NEWSから転載」 2020年8月22日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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