2020年8月4日火曜日

「イエスが愛された者たち~ペテロ篇」 

 ペテロを自分のクリスチャンネームとする人は決して少なくありません。ペテロに自分を重ねるのか、自称ペテロも本家同様、よく失敗しています。肉丸出し。自己顕示欲が強い。目立ちたがり屋で、よく失敗する。これがペテロです。けれども悪い奴かといえばそうとは言い切れなくて、ひと言でいうなら憎めない人物です。彼は彼なりに心からイエスさまを愛していました。イエスさまもまたそのことをご存じで、ありのままのペテロを愛しておられたのです。 

 ペテロは肉にあってよく失敗をしました。特にイエスさまが最も大切なことを語っておられる時に真逆を行くのです。福音書によれば、主イエスが弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と問うたところ、ペテロは「あなたは、キリストです」と100点満点の答えをしました。そこでイエスさまは、もう大丈夫だと思われたのでしょう。ご自分がキリストであることを誰にも言ってはならないと弟子たちを戒められると、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえられなければならないことを弟子たちに示し始められました。これは主の宣教の中核をなすもので、まさにこのためにイエスさまは世に来られたのです。 

 しかしペテロは、イエスさまを引き寄せて、いさめ始めました。「主よ。神の恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません」善意の言葉です。 

 しかし、それに対してイエスさまは、弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言いました。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」そして、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せ、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」と、宣教の招きを広くなされたのです。 

 また、イエスさまは12弟子の中で最も若い青年ヨハネを特に愛されました。ペテロは内心それが妬ましくてなりません。自分に対する素晴らしい主の召命を聞いた後でも、彼が気になりました。すべて自分が1番でないと面白くないという側面が伺えます。 

 誰よりも自分は主を愛している、そうペテロは自負していました。ところがこれが覆される時が来ました。主イエスのことば通り、イエスが祭司長律法学者たちに捕らえられた時、「おまえはイエスとともにいた」と言われると、「知らないね。何を言っているのか分からない」と、自分を救うため3度イエスさまを否みました。イエスはあらかじめこうなるとペテロに言っておられたのですが、果たしてその通りになったのです。ペテロは、主イエスを裏切りました。イエスを愛しているのに、否んでしまった自分の弱さに、彼は号泣しました。 

 しかし神はここから、ペテロの公けの人生をスタートさせます。3度イエスを否んだペテロに、主は現れ、3度「あなたは私を愛しますか」と言ってくださいました。ぺテロには、愛しますと言えるようなものはもうありません。彼は心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります」と語り、それが精一杯でした。 

 これが、イエスが愛されたペテロのありのままの姿です。人の愛と神の愛は違います。自分を大きく見せようといったものはもはやありません。神はペテロを愛しておられ、牧者へと建て上げてくださいました。あなたもまた、自分を飾ることを捨て、ありのままのあなたで、イエスのもとに行きましょう。主はあなたを愛し、あなたを建て上げてくださいます。

 MIKOE NEWSから転載」 2020年8月4日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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