2020年7月23日木曜日

「イエスが愛された者たち~ザアカイ篇」 

 エリコの町にある取税人がいました。名をザアカイと言います。当時エリコは交通の要所でにぎわっており、ザアカイは取税人の頭でした。彼は私腹を肥やし、大金持ちでしたが人々から嫌われていました。けれどもそんなことはザアカイにとってはどこ吹く風で、彼は気にも留めませんでした。 

 イエスさまがエリコに来られたと聞くと、ザアカイはうわさに聞くイエスを見たいと思いました。ところが彼は背が低く、人だかりに呑まれてしまうので道沿いのいちじく桑の木に登り、そこからイエスを見ようとしました。 

 するとちょうどそこにイエスさまが来られ、ザアカイを見上げて言われました。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家にとまることにしてあるから」ザアカイは急いで降りて来て、大喜びでイエスさまを迎えました。これを見て皆は、イエスさまは罪びとの所に行って客となられたとつぶやきました。 

 しかし、イエスさまに出会ったザアカイは、一変しました。宴たけなわになると、ザアカイはやおら立ち上がりイエスに言います。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します」。 

 イエスさまもこれを喜び、「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子(イエス・キリスト)は、失われた人を探して救うために来たのです」と言ってくださいました。恐らく満面の笑みを浮かべてのおことばであったでしょう。 

 サムエル記第一16章7節に「人はうわべを見るが、主は心を見る」という一文があります。祭司長・律法学者は当時のエリートです。しかしそれはうわべだけのことであって、心はむしろ罪人ザアカイが神の目にかなっていたのでしょう。 

 ルカの福音書15章で、羊飼いは一匹の迷った羊を探すためには、99匹の羊を置いたままにして見つけるまで捜し歩くと書かれています。ザアカイはそんな羊の一匹であったのです。 

 私たちもまた、失われた羊、失われた人です。イエスさまは私たちを探し出し、悔い改めを導き、救いに与らせるために世に来られた救い主です。主はあなたの心をご存じです。イエス・キリストを信じましょう。

 MIKOE NEWSから転載」 2020年7月23日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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