クリスチャンになって私は、かれこれ37年になります。
長い時間が流れましたが、昨日の事のように思い出すことができます。
私は四国の出身です。
四国は弘法大師が開いた八十八箇所の霊場があって、多くの巡礼者がやって来ます。
私の家族親族も当たり前のようにこれに帰依していました。
霊的には暗黒です。
幼い時から月参りに連れて行かれて偶像を拝んだことによって、悪霊に聞きやすい耳がその頃から作られていたように思います。
思春期になると、それが表に出てきました。
空想や妄想の世界に足を踏み入れ、サタンにやられ放題やられてしまい、押し切られて自殺を考えるまでになりました。
自殺というのは、悪魔が入れてくる思いであって、これには散々振り回されました。
私を殺し永久に自分のものとしようとするサタンと、私を愛し救おうとする神との戦いが自分の内にあるのです。
何ということでしょう。
一見楽しい学生生活の影で、私は人知れずこのような戦いに直面していました。
私には多くの友人がいましたが、まさか私が自殺するなんて誰も思ってみなかったようです。
しかし教会の牧師だけは、真顔で聞いてくれました。
そして、興味深いお話をしてくださったのです。
ローマ人への手紙6章23節に「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリストイエスにある永遠のいのちです」と書かれています。
この箇所から牧師は、死は罪の結果として起こるものだと教えてくれました。
誰にも罪はあり、あなたも例外じゃあない、と言い、さらに、たとえを使って次のように語りました。
Kさんが3000万の借金をしたなら、必ずその3000万は返さなければならない。
これは当然だ。
でもKさんは学生だから3000万なんていう大金は持っていない。
払えなければ取り立て屋に引き渡されてしまう。
でもね、その時Kさんの代わりに私が3000万を支払ってあげるとどうだろう。
取り立て屋は満足して帰るよ。
彼らは3000万でありさえすれば、誰の3000万でも良いのだ。
同様に命も、サタンは命を的にしてくるが、命でありさえするのなら、誰の命でもいいんだよ。
それでイエスはあなたの身代わりとなって命を捨て、十字架で死んでくださったんだ。
それはあなたを救うためだったんだよ。
これを聞いて私は喜び、イエスさまの十字架を信じて、神の家族の一員になりました。
イエスは死や滅びに定められている私たちを深く愛するが故に、身代わりの死を遂げられました。
そして3日目に復活を果たし、救いの道を打ち立てられました。
あなたもまた十字架を信じ、あなたを愛し、あなたを救うためには、死さえもいとわなかった主イエスの愛に帰りましょう。
(イスラエル北野 )
「MIKOE NEWSから転載」 2020年5月13日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/
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