2020年5月21日木曜日

「サタンはいるのか、何するものか」 

 かつて読んだ信仰書に興味深い話がありました。

 J牧師は1000名を超える教会の牧師でしたが、いつも敗北感に打ちひしがれていました。
 というのも、しばしば思いの中で、友人のT牧師が現れては、「お前の説教は恵まれない」「働きは俺の方が上だ」などと、語ってくるのです。
 
 教会は順調に成長していました。
 まさかJ牧師がそのような戦いをしているとは、誰も思いませんでした。

 しかし、日夜その語りかけは続き、J牧師はもうボロボロでした。
 このことは誰にも話しませんでしたが、意外なところから助けが来ました。

 夫婦の祈りの中で、何も知らない奥さんが突然預言をしたのです。
 「今、あなたの思索を縛り苦しめているのはサタンです。イエスの御名によって断ち切りなさい」 

 その通りにすると、たちまち暗い心は払拭(ふっしょく)され、神の愛の、恵みの光が差し込みました。
 J牧師を縛っていたのは友人ではなく、友人の顔をしたサタンであったのです。
 サタンは自分を隠し、ありもしない偽りを語り、私たちを告発し、敗北感を抱かせます。

 以前、こういう事がありました。

 私は、素晴らしい聖霊の働きがある聖会に出席しました。
 多くの主のわざが起こり、次は私だと期待しました。

 ところが、私の所に来ると講師は素通りするのです。
 一度や二度ではありません。

 恵まれた友人たちを見て心を痛め、最終日、ついに涙を流してしまいました。 
 その時、講師がやってきて言いました。
 「神よ。この少女に恵みを受けさせまいとしてサタンが張り巡らせた覆いを彼女から取り除いてください」

 これを聞いて目が開かれました。
 恵みを受けさせまいと縛っていたのはサタンであったのです。

 長い間、サタンは空想上の存在であり、自分とは何の関係もないものだと思っていました。
 しかし、それこそがサタンの思うつぼなのです。 
 この事を通して、サタンはいないという常識の陰に隠れて、いかにサタンがわがもの顔で暗躍しているのか、それを見ることができました。

 サタンの実質は「殺人者」です。
 私たちが神に愛されていることをねたみ、1人でも多くの者を救いにあずからせまいとして、今なお動いています。

 しかしながら、この戦いは神の戦いであり、神は既に勝利を取っておられます。
 神の勝利は、主イエス・キリストの十字架の死によって確定し決定し、サタンは既に敗北しています。

 ルカの福音書にはこう書かれています。
 「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」(24章46、47節)

 今は、このような時代です。
 イエスさまは、2000年前、世に来てくださり、私たちの罪を私たちの代わりに担い、十字架で死んでくださいました。
 そして、ご自身のことば通り、3日目によみがえり、贖(あがな)いを完成されました。
 以後、イエスを信じるなら誰もが救われる、そんな時代になりました。

 サタンは、罪の告発者ですが、イエス・キリストは罪の赦しを与えるために来られた約束のメシアです。
 イエスを信じ、サタンの支配から神の支配のうちに帰ること、ここに私たちの人生の意味があります。

 偽りのサタンの言葉に聞くことなく、いのちのことばである主イエスのうちに帰りましょう。

(イスラエル北野)

MIKOE NEWSから転載」 2020年5月21日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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