2020年3月18日水曜日


聞かれる祈り

 祈りは特別な祝福です。祈りは人類に与えられた特権であると私は思います。祈りは神に対して向けられるものであって、犬猫や私たち人間以外の被造物は祈ることはありません。祈りは人間だけが用いることができる特権であり祝福です。
 私の祈りの生活は、イエス・キリストを信じた時から始まりました。祈ることは、息を吸うことで、聖書を読むことは食事を食べることだよ、と聞かされて祈ってみたら、初めてにもかかわらずまさに神が働く奇跡を見ました。偶然だと言い切れないリアルな答えを受け、祈りは聞かれると知りました。祈りは、私の人生を一変させました。
 祈りが聞かれるためには、いくつか注意することがあります。一つは罪を悔い改めることです。神さまは義なるお方なので私たちの側に罪があると祈りは届きません。罪を悔い改めることは、祈りが聞かれるということと深い関わりがあります。神さまにお願いして、神との関係を断絶している罪を示していただき、それを捨てましょう。
 もう一つは正直に祈るということです。祈りのハードルを低く設定しましょう。こうすれば、祈りはぐっと楽しくなります。祈りは美辞麗句を駆使して上手に語る必要はなく、ありのままでよいのです。神はまた私たちの父ちゃんですから、私たちが求めるその願いを知ってくださり、愛と最善を注いでくださいます。ですから、心を低くして求めましょう。
 最後は、信仰を用いることです。マルコの福音書1124節には「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」と書かれています。時に祈りは信仰が求められます。信仰の祈りによって、神のことばは爆発的な勢いで実を結びます。神は祈りを聞かれた、そう信じて祈りましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年3月22日号(第1086号)より転載—

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