2019年4月10日水曜日

いやし
 宗教といやしは密接な関わりがあります。小さい頃、月詣で山岳信仰の寺院によく連れていかれました。一角に祠(ほこら)があり、たくさんのギプスやつえが奉献されていました。おそらく、いやされた人の物でしょう。興味深いことに、宗教はどの宗教も病のいやしをうたっています。
 キリスト教においても病のいやしはあります。むしろキリスト教の方が本家です。イエスさまが世に来られ宣教をされた時、多くの病人や悪霊につかれた人がいやされ、解放を受けました。救いの道筋を作るにあたって、いやしの働きは大いにそれを助けました。
 キリスト教のいやしの根拠は、イザヤ書53章のことばにあります。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(5節)このことばが、今なお生きて人をいやすのです。彼というのはイエスさまです。イエスさまは約2000年前にこの世に来られ、神の国の到来を告げ知らせ、多くの人をいやし、死人をよみがえらせました。最期には十字架によって私たちの全ての罪を担い、死んでくださいました。そして、3日目に死者の中からよみがえりを果たされたのです。このイエスさまの、み苦しみを引き換えに、私たちはいやしを受け、また永遠のいのちを受けるのです。
 先日、急に妹がぎっくり腰になりました。仕事があるので休めず、牧師である母に祈ってもらうと、患部が熱くなり痛みが消えたと言います。神さまは今もいやしてくださいます。詩篇103篇3節にも「(主は)あなたのすべての病をいやし」と書かれています。私たちが健やかでいることは神さまのみこころです。
 こういう訳で、イエスさまを信じましょう。そして求めましょう。イエスさまは病をいやし、永遠のいのちを与えてくださいます。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年4月14日号(第1037号)より転載—

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