2018年3月21日水曜日


さみしい家

昔の小道を囲むようにして民家が立ち並びます。その中の1軒が私の乳母(子守さん)の家です。幼い頃になれ親しんできた昔の家は無くなっており、現代風の家が建っていました。
 家は、乳母の長男であるTさんが住んでいます。定年まで企業で勤め上げ、奥さんと二人で生活されています。悠々自適のはずですが、さみしげでした。この辺りは、皆、退職金で購入した新築の家が立ち並んでいるが、一人暮らしの老人ばかりだと話してくれました。
 そういえば、乳母もそのご主人も、私たちはこうしてお迎えを待っているのだと語り、淡々と生活していました。
 今は、高齢社会ですから、仕事を人生の目的とした人にとっては厳しい時代です。定年後の人生は長くなりました。老いとともに生きていかなければならない年月があります。
 この事柄に対しては、聖書の伝道者の書に「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に」(12章1節)という一文が寄せられています。
 人生は奥深いもので、仕事が人生の目的であると、仕事を辞めると生き方まで見失うことがあります。ですから聖書は「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」と語っているのです。確かに仕事は人生の中で大きなウエートを占めます。しかし、人生そのものは神との出会いによらなければ完結するものではありません。
 お金持ちの、新築の家での一人暮らしは、意外にもさみしいものでした。何の喜びもない、という前に、あなたを造られた創造者を覚えましょう。(イスラエル北野)

み声新聞2017年3月25日号(第982号)より転載—

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