2017年10月25日水曜日

年を取っても

 「寄る年波には勝てず」とはよく言ったもので、50を超えるとさすがに容色の衰えや体力の衰えを否めず、老いの戸口に立っていることを意識させられます。
 2030代の時は、人生は右肩上がりで進んでいるように思っていました。しかし、50代に入ると、どうも勝手が違います。今までになく疲れやすく、老いを意識する場面が多くなりました。
 人生の折り返し地点を超えたということは明らかですし、齢(よわい)を数えてあと何年だろうかとついネガティブになってしまいます。でも、イエスさまの愛は、こんな中においても優しく麗しく変わることがありません。
 イザヤ書には、こう書かれています。「生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」(46章3、4節)
 また、同403031節にはこう書かれています。「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲(わし)のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」
 主を待ち望むこと、これが力の源です。若い時の力は、肉の力です。それはやがて衰えます。けれども、あなたが主を待ち望み、主に従うなら、主の力があなたの上に臨みます。その力は、鷲が滑空するような勢いに満ち、たゆむことも、疲れることもありません。
 アブラハムは75歳から、モーセは80歳から、それぞれ神の働きに就きました。年齢という数字に惑わされないようにしましょう。いくつになっても、主はあなたを背負ってくださり、あなたを愛し、あなたの力となってくださいます。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2017年10月29日号(第960号)より転載—

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